2007年12月11日(火)
刀のはなし59
珍刀、奇刀、優秀刀
日本では、これらの刀類は掘り出し物などと呼ばれていますが、今現在では掘り出し物の発見は皆無です。登録制度のない米国では、まだまだ掘り出し物は存在いたします。4、5年前までは、1ヶ月に250振り前後の刀を拝見、鑑定していましたが、最近は100振りくらいの刀が桑港日本刀博物館に持ち込まれます。8割以上の日本刀は、研磨の状態が保たれていませんので、鑑定は難しいです。しかし、持ち主の許可の下で、窓開けという部分研磨をさせていただき、鑑定に踏み切っています。私たちの使用している鑑定表は、30くらいの項目が記載されております。外装、体配、反り、刃紋、地紋(肌)、忠(なかご)の長さ、刃長、在銘、無銘、銘振り、5カ伝、時代などです。
次に、米国で発見し購入した掘り出し物を挙げてみます。
①平三角造りの大身の槍
穂長は3尺(90センチ)を少し超えています。この槍よりも長いものは日本に2振り、米国では未だ拝見していません。1980年に、桑港の骨董品店で買い上げました。当時は、錆がひどく、刃紋、地紋は見えませんでした。研磨師さんが手を三回深く切りながら研磨完了。三鈷杵剣(さんこしょうけん)を、私が外装として製作しました。梵字の不動明王、長い棒樋、隠れキリシタンの十字架が入ってます。製作年代は安土桃山時代です。
②注文打ちの太刀 1923年に訪日した日系米国人によって米国に持ち込まれ、私が1985年ころに購入しました。外装は本太刀拵で、徳川将軍家の家紋入りです。太刀掛も特別注文で、葵の家紋入りです。目貫は、大石と鯛の対です。鞘には、足金物、石突き、責め金も付いています。忠(なかご)には、裏表の銘が以潔斎桑助秀鍛之と刻まれています。文化四年二月日とあります。助秀は、尾崎助高の門人です。助高の師匠は、有名な越前守助広です。この注文打の太刀の刃紋は、どう乱刃です。鍛え肌は、よく約(つ)み、きれいです。柄巻は、私の師匠が他界する前に、巻いてくれたもので、実に良く巻かれています。色は金と白を混ぜたもので名人芸の柄巻です。刀鍛冶の桑山助秀は、土佐の八幡に住んでいた人で文化五年に没しています。第二次世界大戦以前は、桑山助秀の刀はたくさん存在してましたが、最近はま ず拝見しないと九州の某日本刀鑑定大家が言っておりました。
珍刀、奇刀、優秀刀
日本では、これらの刀類は掘り出し物などと呼ばれていますが、今現在では掘り出し物の発見は皆無です。登録制度のない米国では、まだまだ掘り出し物は存在いたします。4、5年前までは、1ヶ月に250振り前後の刀を拝見、鑑定していましたが、最近は100振りくらいの刀が桑港日本刀博物館に持ち込まれます。8割以上の日本刀は、研磨の状態が保たれていませんので、鑑定は難しいです。しかし、持ち主の許可の下で、窓開けという部分研磨をさせていただき、鑑定に踏み切っています。私たちの使用している鑑定表は、30くらいの項目が記載されております。外装、体配、反り、刃紋、地紋(肌)、忠(なかご)の長さ、刃長、在銘、無銘、銘振り、5カ伝、時代などです。
次に、米国で発見し購入した掘り出し物を挙げてみます。
①平三角造りの大身の槍
穂長は3尺(90センチ)を少し超えています。この槍よりも長いものは日本に2振り、米国では未だ拝見していません。1980年に、桑港の骨董品店で買い上げました。当時は、錆がひどく、刃紋、地紋は見えませんでした。研磨師さんが手を三回深く切りながら研磨完了。三鈷杵剣(さんこしょうけん)を、私が外装として製作しました。梵字の不動明王、長い棒樋、隠れキリシタンの十字架が入ってます。製作年代は安土桃山時代です。
②注文打ちの太刀 1923年に訪日した日系米国人によって米国に持ち込まれ、私が1985年ころに購入しました。外装は本太刀拵で、徳川将軍家の家紋入りです。太刀掛も特別注文で、葵の家紋入りです。目貫は、大石と鯛の対です。鞘には、足金物、石突き、責め金も付いています。忠(なかご)には、裏表の銘が以潔斎桑助秀鍛之と刻まれています。文化四年二月日とあります。助秀は、尾崎助高の門人です。助高の師匠は、有名な越前守助広です。この注文打の太刀の刃紋は、どう乱刃です。鍛え肌は、よく約(つ)み、きれいです。柄巻は、私の師匠が他界する前に、巻いてくれたもので、実に良く巻かれています。色は金と白を混ぜたもので名人芸の柄巻です。刀鍛冶の桑山助秀は、土佐の八幡に住んでいた人で文化五年に没しています。第二次世界大戦以前は、桑山助秀の刀はたくさん存在してましたが、最近はま ず拝見しないと九州の某日本刀鑑定大家が言っておりました。