テッドさん
テッドさんと会ったのは2005年の春で、カウパレスで行われたガンショウのセットアップ直後でした。金曜日だったので、日系人のモリシゲさんのテーブルの場所へいつものように訪問し、売り物の日本刀を拝見しているところに居合わせたのがテッドさんでした。
身長が190センチあるテッドさんは寂しそうな険しい顔で、鍔や小道具を見ていました。テッドさんは「この鍔は本物ですか?」とたずねるので言ってあげました。「銘読みは武州住忠重で正真の銘です。江戸に住んでいた鍔作リの専門家です。この人は徳川時代の中期頃の生まれで、徳川時代の後期頃まで活躍した人なのでこの鍔は200年ぐらいの骨董品です。ここに陳列してあるモリシゲさん所有の小道具、鍔などは大体その頃のものですが、たまに安土桃山時代、江戸時代の初期の拵え金具も出てきますので、それらを買い求めたほうがお買い得です」とアドバイスをしてあげました。古ければ良いというものではありませんが、古き良き時代の骨董品は、作る人の技術が優秀なので自然にそうなっているのです。
テッドさんは次に刀の事柄を聞いてきました。私は即答で、茎にある銘を読んであげ、日系人のモリシゲさんが持参した刀、脇差、短刀などの説明をしてあげました。それから二週間ぐらいしてテッドさんは、私の主催の桑港日本刀協会の終身会員になったのです。
昔々テッドさんはある日本刀勉強会に属していて、そこの会長さんの秘書をしていたそうです。その日系人会長のおっさんがお亡くなりになった時に権力争いがあって、いやな思いをしたのでもう日本刀を勉強したり収集する活動は、一応その時やめたそうです。でも、やはり日本刀が大好きで、カウパレスのモリシゲさんのテーブルを度々訪れていましたが、誰も日本刀の勉強の先生、指導者になってくれる人が見つからなかったので、20年間ほど一人で本を読んだり、いままで自分の集めた日本刀を見て寂しい日々を送っていたそうです。しかし、私とカウパレスのガンショウで出会って、日本刀に対し前向きでポジティブな自分を再発見できてうれしかったそうです。私も険しく寂しい顔をしていたテッドさんを、初対面の日にカウパレスのガンショウで覚えています。やっとガッテンが行きました。きっとストレスもたまっていたのですね。私はそれを改善してあげました。
テッドさんは日本刀にものすごく興味があり、私がその情熱の炎にまた点火してあげたので実に実に喜んでいます。最初の2年間の収集活動で、1500万円相当の日本刀を買い上げました。私の持っていた鎌倉時代の長い太刀二振りも含め、他の協会員が持っていたものの中の優秀刀、優作刀、珍刀、奇刀などをどんどん買い上げていきました。E-Bayの出物も私に必ず相談して、掘り出し物をたくさん見つけました。彼の買い上げた錆身の日本刀は、私が全て研磨し、新規の白鞘を工作してあげました。銀無垢のハバキ金も25個ほど作製しました。私の日本刀修理修繕の良いお客様です。こんな会員が他に3人程います。
2008年には星野家専属の個人弁護士サリバン氏より、三振りの日本刀を買いました。それらには全て、私が日本で特別に調達した拵え金具が付いていて、研磨も完了し、新規の白鞘も込みでした。江戸時代初期の近江守藤原継広の定寸刀の大刀、脇差、薙刀です。全く同じ刀鍛治が作った大刀と小刀の対を大小と呼びますが、三振りが同じ鍛治によって造られた正真銘の在銘日本刀は実に稀です。テッドさんはこれらを秘蔵にしています。
テッドさんには美しいメキシコ系アメリカ人の奥さんいて、双子の娘さんがいます。奥さんはテッドさんの日本刀収集に積極的で、いろんな面で同意してあげています。買った値段の額の最後のゼロをすっぱ抜く必要は全くありません。桑港刀剣協会には、奥さんやガールフレンドが日本刀の勉強や収集に協力してくれている会員が、他に五組ぐらいいます。テッドさんの双子の美しい姉妹は1992年生まれで、私の長男より一歳下。協会での忘年会や新年会では一緒に折り紙を作って楽しんでいます。
2012年の5月19日に、コルマにあるおケイさんのお墓の近くでフェスティバルがあり、日本刀の展示会、剣術、試し切りのデモンストレーションを行いテッドさんと奥さんも一緒に参加していただきました。鎧武者が三人登場し二人は大喜びでした。私の持参したすごく珍しい日本刀を特別に見せてあげました。丁重な注釈をし、その日本刀を手に持っていただきました。テッドさんは600年前の短刀と400年前の慶長新刀を修理修繕のために持参して、私にお仕事をくれました。仕事完了の後に、必ず私は鑑定書を日本刀に書いてあげるので喜ばれています。テッドさんは、一ヶ月に一振りの日本刀を買っています。私の仕事は四年ほど続きそうです。現在彼の持参した修理修繕用の日本刀が、七振りも我修理修繕処に眠っています。
テッドさんは度々私の銘読みの能力にびっくりしています。E-Bayに日本刀が出ていて、銘が写真にあるが読めないと言うのです。売り手も銘があるが読めないと同じことを言っています。その写真を私に送れば、吟味してあげるよと言うと早速、漢字が送られてきて即座に読んでやりました。売り手は日本人で、サクラメントで大学の先生をしていた人でした。現在、南カリフォルニアに住んでいます。日本人だから日本刀の銘が読めるだろうというのは虚実です。テッドさんに似かよった話をしてあげました。日本で鑑定家と称している人がたくさんの日本刀の本を書いているが、いざ鑑定となるとできないのです。本の知識は博学でよろしいのですが、実戦には使用できない場合がたくさんあります。
もう一つ私の自慢話をついでにしてあげました。ある米国人の日本刀収集家が、銘の読みを米国一の翻訳者に依頼し、17ほどあった銘の漢字の三つを読みきれず、ブランクで戻ってきました。桑港刀剣協会会長の星野なら読めるだろうと、サンフランシスコに押し型を送ったら全ての漢字の読みが書かれて、翻訳と注釈と共に戻ってきた。そしてびっくりしたのです。しかしその依頼者は、私が銘を呼んであげた三日後にそのことを教えてくれたので、私はそんな経緯はぜんぜん知らなかったのです。
銘の読みは、私が米国で一番ですと自称しています。銘の読みは即答です。二年前に日本刀展示用にサインを英文でたくさん作りました。そのうちの二つは、私も実に気にいっています。①インスタント(即答で)鑑定致します②99%の銘読みが即座にできます。
2012年の1月にテッドさんより、脇差の銘を読んでくれと頼まれました。それは、珍しい加州の十二月清光です。珍刀です。「直ぐに買えば」とアドバイスを送り、テッドさんは買い上げに成功したのです。出所はE-Bayのオークションでした。二週間後に道場に持って来ました。そうです、正真です。本物です。私がべたほめするのでテッドさんも大喜び。また私に仕事をくれました。私も清光を持っていますと大小の清光をテッドさんに見せてあげました。他にも在りますかというので、三振り目を見せてやりました。まだありますかと言わなかったので他のは見せませんでした。テッドさんに清光の注釈をしてあげました。清光の銘の最初の漢字は、「せい」、「きよ」、「きよし」、「しろ」と読みます。へんとつくりを真ん中で分けると、右のほうが青で少しずつずらして一字ずつ書くと、十、二、月となるので、昔から十二月清光の異名があるのです。大喜びのテッドさんの日本刀収集コレクションの中の一振りになりました。
身長が190センチあるテッドさんは寂しそうな険しい顔で、鍔や小道具を見ていました。テッドさんは「この鍔は本物ですか?」とたずねるので言ってあげました。「銘読みは武州住忠重で正真の銘です。江戸に住んでいた鍔作リの専門家です。この人は徳川時代の中期頃の生まれで、徳川時代の後期頃まで活躍した人なのでこの鍔は200年ぐらいの骨董品です。ここに陳列してあるモリシゲさん所有の小道具、鍔などは大体その頃のものですが、たまに安土桃山時代、江戸時代の初期の拵え金具も出てきますので、それらを買い求めたほうがお買い得です」とアドバイスをしてあげました。古ければ良いというものではありませんが、古き良き時代の骨董品は、作る人の技術が優秀なので自然にそうなっているのです。
テッドさんは次に刀の事柄を聞いてきました。私は即答で、茎にある銘を読んであげ、日系人のモリシゲさんが持参した刀、脇差、短刀などの説明をしてあげました。それから二週間ぐらいしてテッドさんは、私の主催の桑港日本刀協会の終身会員になったのです。
昔々テッドさんはある日本刀勉強会に属していて、そこの会長さんの秘書をしていたそうです。その日系人会長のおっさんがお亡くなりになった時に権力争いがあって、いやな思いをしたのでもう日本刀を勉強したり収集する活動は、一応その時やめたそうです。でも、やはり日本刀が大好きで、カウパレスのモリシゲさんのテーブルを度々訪れていましたが、誰も日本刀の勉強の先生、指導者になってくれる人が見つからなかったので、20年間ほど一人で本を読んだり、いままで自分の集めた日本刀を見て寂しい日々を送っていたそうです。しかし、私とカウパレスのガンショウで出会って、日本刀に対し前向きでポジティブな自分を再発見できてうれしかったそうです。私も険しく寂しい顔をしていたテッドさんを、初対面の日にカウパレスのガンショウで覚えています。やっとガッテンが行きました。きっとストレスもたまっていたのですね。私はそれを改善してあげました。
テッドさんは日本刀にものすごく興味があり、私がその情熱の炎にまた点火してあげたので実に実に喜んでいます。最初の2年間の収集活動で、1500万円相当の日本刀を買い上げました。私の持っていた鎌倉時代の長い太刀二振りも含め、他の協会員が持っていたものの中の優秀刀、優作刀、珍刀、奇刀などをどんどん買い上げていきました。E-Bayの出物も私に必ず相談して、掘り出し物をたくさん見つけました。彼の買い上げた錆身の日本刀は、私が全て研磨し、新規の白鞘を工作してあげました。銀無垢のハバキ金も25個ほど作製しました。私の日本刀修理修繕の良いお客様です。こんな会員が他に3人程います。
2008年には星野家専属の個人弁護士サリバン氏より、三振りの日本刀を買いました。それらには全て、私が日本で特別に調達した拵え金具が付いていて、研磨も完了し、新規の白鞘も込みでした。江戸時代初期の近江守藤原継広の定寸刀の大刀、脇差、薙刀です。全く同じ刀鍛治が作った大刀と小刀の対を大小と呼びますが、三振りが同じ鍛治によって造られた正真銘の在銘日本刀は実に稀です。テッドさんはこれらを秘蔵にしています。
テッドさんには美しいメキシコ系アメリカ人の奥さんいて、双子の娘さんがいます。奥さんはテッドさんの日本刀収集に積極的で、いろんな面で同意してあげています。買った値段の額の最後のゼロをすっぱ抜く必要は全くありません。桑港刀剣協会には、奥さんやガールフレンドが日本刀の勉強や収集に協力してくれている会員が、他に五組ぐらいいます。テッドさんの双子の美しい姉妹は1992年生まれで、私の長男より一歳下。協会での忘年会や新年会では一緒に折り紙を作って楽しんでいます。
2012年の5月19日に、コルマにあるおケイさんのお墓の近くでフェスティバルがあり、日本刀の展示会、剣術、試し切りのデモンストレーションを行いテッドさんと奥さんも一緒に参加していただきました。鎧武者が三人登場し二人は大喜びでした。私の持参したすごく珍しい日本刀を特別に見せてあげました。丁重な注釈をし、その日本刀を手に持っていただきました。テッドさんは600年前の短刀と400年前の慶長新刀を修理修繕のために持参して、私にお仕事をくれました。仕事完了の後に、必ず私は鑑定書を日本刀に書いてあげるので喜ばれています。テッドさんは、一ヶ月に一振りの日本刀を買っています。私の仕事は四年ほど続きそうです。現在彼の持参した修理修繕用の日本刀が、七振りも我修理修繕処に眠っています。
テッドさんは度々私の銘読みの能力にびっくりしています。E-Bayに日本刀が出ていて、銘が写真にあるが読めないと言うのです。売り手も銘があるが読めないと同じことを言っています。その写真を私に送れば、吟味してあげるよと言うと早速、漢字が送られてきて即座に読んでやりました。売り手は日本人で、サクラメントで大学の先生をしていた人でした。現在、南カリフォルニアに住んでいます。日本人だから日本刀の銘が読めるだろうというのは虚実です。テッドさんに似かよった話をしてあげました。日本で鑑定家と称している人がたくさんの日本刀の本を書いているが、いざ鑑定となるとできないのです。本の知識は博学でよろしいのですが、実戦には使用できない場合がたくさんあります。
もう一つ私の自慢話をついでにしてあげました。ある米国人の日本刀収集家が、銘の読みを米国一の翻訳者に依頼し、17ほどあった銘の漢字の三つを読みきれず、ブランクで戻ってきました。桑港刀剣協会会長の星野なら読めるだろうと、サンフランシスコに押し型を送ったら全ての漢字の読みが書かれて、翻訳と注釈と共に戻ってきた。そしてびっくりしたのです。しかしその依頼者は、私が銘を呼んであげた三日後にそのことを教えてくれたので、私はそんな経緯はぜんぜん知らなかったのです。
銘の読みは、私が米国で一番ですと自称しています。銘の読みは即答です。二年前に日本刀展示用にサインを英文でたくさん作りました。そのうちの二つは、私も実に気にいっています。①インスタント(即答で)鑑定致します②99%の銘読みが即座にできます。
2012年の1月にテッドさんより、脇差の銘を読んでくれと頼まれました。それは、珍しい加州の十二月清光です。珍刀です。「直ぐに買えば」とアドバイスを送り、テッドさんは買い上げに成功したのです。出所はE-Bayのオークションでした。二週間後に道場に持って来ました。そうです、正真です。本物です。私がべたほめするのでテッドさんも大喜び。また私に仕事をくれました。私も清光を持っていますと大小の清光をテッドさんに見せてあげました。他にも在りますかというので、三振り目を見せてやりました。まだありますかと言わなかったので他のは見せませんでした。テッドさんに清光の注釈をしてあげました。清光の銘の最初の漢字は、「せい」、「きよ」、「きよし」、「しろ」と読みます。へんとつくりを真ん中で分けると、右のほうが青で少しずつずらして一字ずつ書くと、十、二、月となるので、昔から十二月清光の異名があるのです。大喜びのテッドさんの日本刀収集コレクションの中の一振りになりました。