2007年7月10日(火)
刀のはなし54
脇差しと海部刀
脇差しとはその言葉が示すように、脇に差す、中位または短めの日本刀です。侍の腰に差す、短い方の小刀です。刃渡り(長さ)は、1尺以上2尺未満と限定されています。しかし、脇差しが存在しなかった応永時代前は、寸延び短刀とか腰刀と呼ばれていました。
脇差しの造り込みは多種多様で、鎬(しのぎ)造り(本造り)、平造り、菖蒲(あやめ)造り、両刃造り、冠落し造り、鵜(う)の首造りなどです。室町時代末期頃の脇差しは、先反りがついています。刃渡りは、刀と脇差し兼用の2尺前後です。室町時代初期の脇差しは、刃渡りが1尺3寸前後です。室町時代中期の脇差しの刃渡りは1尺6寸前後です。これは脇差しの時代鑑定をする基礎知識です。徳川時代には、脇差しの刃渡りは1尺7寸と限定されていました。これは、ニ本指しにする時、刀の定寸刀、刃渡り2尺3寸前後の大刀に最も適した刀長です。現存する古刀の平造りの脇差しの70%は、応永時代に製作され、備前鍛冶の作品です。また、尋常の刀が磨り上げられて、刃長の短くなった無銘の脇差しも見かけます。
脇差しは、寸法によって大脇差し、中脇差し、小脇差しに区分されます。大脇差しは、刃長1尺8寸以上で2尺未満のもの、中脇差しは1尺3寸以上、1尺8寸未満のもの、小脇差しは1尺以上、1尺3寸未満のもので、寸延び短刀、喰出し、首取脇差しとも呼ばれています。 1974年に、得能一男先生が「脇差し入門」というすばらしい本を書いておられます。光芸出版が発行所です。総ページ数百九十で、脇差しのことが詳しく書かれています。写真も100枚以上、時代別の説明、諸国の脇差しの代表工も記載されています。大名の殿中差しに、素晴らしい拵の付いた脇差しを見ます。珍刀、奇刀の脇差しに、海部鍛冶によって製作されたものを米国在住中に7振りほど拝見いたしました。造り込みは、片側が平造りで、反対側は片切刃造りです。現在、桑港日本刀博物館に四振り秘蔵されています。刀身に銘が刻まれています。海部住氏次です。二振りの海部刀、拵も、赤と黒のコンビで製作してみました。鎺金も銀無垢です。春と夏の日本町の祭りに展示してます。
脇差しと海部刀
脇差しとはその言葉が示すように、脇に差す、中位または短めの日本刀です。侍の腰に差す、短い方の小刀です。刃渡り(長さ)は、1尺以上2尺未満と限定されています。しかし、脇差しが存在しなかった応永時代前は、寸延び短刀とか腰刀と呼ばれていました。
脇差しの造り込みは多種多様で、鎬(しのぎ)造り(本造り)、平造り、菖蒲(あやめ)造り、両刃造り、冠落し造り、鵜(う)の首造りなどです。室町時代末期頃の脇差しは、先反りがついています。刃渡りは、刀と脇差し兼用の2尺前後です。室町時代初期の脇差しは、刃渡りが1尺3寸前後です。室町時代中期の脇差しの刃渡りは1尺6寸前後です。これは脇差しの時代鑑定をする基礎知識です。徳川時代には、脇差しの刃渡りは1尺7寸と限定されていました。これは、ニ本指しにする時、刀の定寸刀、刃渡り2尺3寸前後の大刀に最も適した刀長です。現存する古刀の平造りの脇差しの70%は、応永時代に製作され、備前鍛冶の作品です。また、尋常の刀が磨り上げられて、刃長の短くなった無銘の脇差しも見かけます。
脇差しは、寸法によって大脇差し、中脇差し、小脇差しに区分されます。大脇差しは、刃長1尺8寸以上で2尺未満のもの、中脇差しは1尺3寸以上、1尺8寸未満のもの、小脇差しは1尺以上、1尺3寸未満のもので、寸延び短刀、喰出し、首取脇差しとも呼ばれています。 1974年に、得能一男先生が「脇差し入門」というすばらしい本を書いておられます。光芸出版が発行所です。総ページ数百九十で、脇差しのことが詳しく書かれています。写真も100枚以上、時代別の説明、諸国の脇差しの代表工も記載されています。大名の殿中差しに、素晴らしい拵の付いた脇差しを見ます。珍刀、奇刀の脇差しに、海部鍛冶によって製作されたものを米国在住中に7振りほど拝見いたしました。造り込みは、片側が平造りで、反対側は片切刃造りです。現在、桑港日本刀博物館に四振り秘蔵されています。刀身に銘が刻まれています。海部住氏次です。二振りの海部刀、拵も、赤と黒のコンビで製作してみました。鎺金も銀無垢です。春と夏の日本町の祭りに展示してます。