2006年11月7日(火)
刀のはなし46
研磨
その工程は磨きとも言われ、研磨の歴史は、刀剣の製作時と全く同じです。開化天皇のころに、すでに研磨師は存在しました。鎌倉時代初期に後鳥羽上皇が月決めで、御番鍛冶の制度を設けたときに研磨師として国弘と為貞(ためさだ)の二人が召されています。研磨師国弘の子孫は織田信長と徳川将軍に仕え、幕末まで至っています。豊臣家に仕えた本阿弥家も日本刀の鑑定、研磨を行っていました。また、町研磨師とし竹屋、木下氏ら江戸時代には数名の研磨師の名人が輩出されています。
日本刀は武器として製作され、研磨の上手、下手で切れ味も変わってきます。現代は、切れ味はあまり強調されず、日本刀を美術工芸品としています。研磨の工程を経た日本刀は、その結果、地刃に特有の変化が現れてきます。金筋、銀筋が出ます。刃紋と刃境に沸え、匂い、稲妻、雷、砂流し、金筋が出ます。
研磨の工程は、日本刀の芸術性を最大限に引き出す作業です。また日本刀の出来栄えや、品位も研磨で左右されます。
次に研磨の工程を挙げます。研磨の仕方には下地研磨と仕上げ研磨の二つの工程があります。下地研磨は荒研磨とも言われ、刀匠によってなされた鍛冶押し研磨をさらに天然や人口の砥石を使って研磨し、日本刀の体配を整え、また深錆(ふかさび)をすべてそぎ落とす作業です。砥石は笹口砥、平島砥、金剛砥、大村砥、伊予砥、改正砥などが使用されます。仕上げ研磨に使用される砥石は、中名倉(ちゅうなぐら)砥、細名倉(こまなぐら)砥、内曇(うちぐもり)砥、鳴滝砥が使用されます。
研磨の順序は、棟(みね)、鎬地(しのぎじ)、平地(ひらじ)、刃地(はじ)、切り先で技術も引き、押し、タツを突く、しゃくり動作などです。 仕上げ研磨の最終工程は、下刃艶(したはづや)、地艶、拭い、刃取り、磨き、肌起こし、横手筋切り、ナルメ等です。それぞれ高度な技術が要求され、昔から師匠よりの秘伝や口伝が多く、明白にされなかった研磨の工程がたくさんあります。
研磨
その工程は磨きとも言われ、研磨の歴史は、刀剣の製作時と全く同じです。開化天皇のころに、すでに研磨師は存在しました。鎌倉時代初期に後鳥羽上皇が月決めで、御番鍛冶の制度を設けたときに研磨師として国弘と為貞(ためさだ)の二人が召されています。研磨師国弘の子孫は織田信長と徳川将軍に仕え、幕末まで至っています。豊臣家に仕えた本阿弥家も日本刀の鑑定、研磨を行っていました。また、町研磨師とし竹屋、木下氏ら江戸時代には数名の研磨師の名人が輩出されています。
日本刀は武器として製作され、研磨の上手、下手で切れ味も変わってきます。現代は、切れ味はあまり強調されず、日本刀を美術工芸品としています。研磨の工程を経た日本刀は、その結果、地刃に特有の変化が現れてきます。金筋、銀筋が出ます。刃紋と刃境に沸え、匂い、稲妻、雷、砂流し、金筋が出ます。
研磨の工程は、日本刀の芸術性を最大限に引き出す作業です。また日本刀の出来栄えや、品位も研磨で左右されます。
次に研磨の工程を挙げます。研磨の仕方には下地研磨と仕上げ研磨の二つの工程があります。下地研磨は荒研磨とも言われ、刀匠によってなされた鍛冶押し研磨をさらに天然や人口の砥石を使って研磨し、日本刀の体配を整え、また深錆(ふかさび)をすべてそぎ落とす作業です。砥石は笹口砥、平島砥、金剛砥、大村砥、伊予砥、改正砥などが使用されます。仕上げ研磨に使用される砥石は、中名倉(ちゅうなぐら)砥、細名倉(こまなぐら)砥、内曇(うちぐもり)砥、鳴滝砥が使用されます。
研磨の順序は、棟(みね)、鎬地(しのぎじ)、平地(ひらじ)、刃地(はじ)、切り先で技術も引き、押し、タツを突く、しゃくり動作などです。 仕上げ研磨の最終工程は、下刃艶(したはづや)、地艶、拭い、刃取り、磨き、肌起こし、横手筋切り、ナルメ等です。それぞれ高度な技術が要求され、昔から師匠よりの秘伝や口伝が多く、明白にされなかった研磨の工程がたくさんあります。