2006年8月8日(火)
刀のはなし43
桑港日本刀博物館に寄贈された日本刀
毎年二回、四月の北加桜祭りと八月の日本町ストリートフェアに、100振り以上の日本刀剣類を展示しています。その過去32年間、日本刀の書物、小道具類、刀剣類を寄贈して下さった人はかなりの数になります。
刀剣類は健全な状態もありますが、ほとんどが何らかの修理修繕が必要でした。日本刀の最低限の状態は、まず第一に研磨がほどこしてあるかないかです。第二に、鎺(はばき)金が付いているかどうかです。第三の条件は、白鞘が装備されているかどうかです。
研磨は時代鑑定などをするとき必要で、刀身に刃紋、地紋、働きが見えなければなりません。拵を新しく製作するときに鎺金がないと切羽、つばなどの拵金具を付着できないため、鎺金も必要とされています。研磨された刀は鋭利で、それに覆いかぶせる鞘と柄がないと危険なため、必ず白鞘は装備させなくてはいけません。また、柄巻を行う際に、少し大きめにできている白鞘の柄の部分を削り込んでエイの皮を巻いて、目貫を付着させて糸を巻くことになります。白い板目の出ている鞘は、ある程度削り込んでうるし塗りをします。
過去32年間に寄贈された刀剣類はいろいろな状態で持ち込まれ、最低限の修理修繕がなされ、春と夏に日本町での催しで展示されます。寄贈された刀剣類の例を挙げます。
①1999年の夏に持ち込まれた短刀は重ねも厚く、二人の刀匠によって製作されました。銘は大国斎金光と尚昭です。通常の短刀の2倍半の重さです。 ②2006年の2月6日にジュディー・ヤブモト様から電話があり、ストックトン在住のお父様シゲル・ヤブモト氏(当時90)が日本刀を桑港日本刀博物館に寄贈するよう希望していると告げられ、桑港日本町で会って日本刀を受け取りました。簡単な研磨と切先を修正して研磨し直し、白鞘を新しく製作しました。室町後期に製作された健全な打ち刀で、裏銘が備前国住とありました。珍しい南蛮つばも付いていました。受取証を渡し、この寄贈品は売りに出さないという約束もし、当博物館に永久的に所蔵されることになりました。
桑港日本刀博物館に寄贈された日本刀
毎年二回、四月の北加桜祭りと八月の日本町ストリートフェアに、100振り以上の日本刀剣類を展示しています。その過去32年間、日本刀の書物、小道具類、刀剣類を寄贈して下さった人はかなりの数になります。
刀剣類は健全な状態もありますが、ほとんどが何らかの修理修繕が必要でした。日本刀の最低限の状態は、まず第一に研磨がほどこしてあるかないかです。第二に、鎺(はばき)金が付いているかどうかです。第三の条件は、白鞘が装備されているかどうかです。
研磨は時代鑑定などをするとき必要で、刀身に刃紋、地紋、働きが見えなければなりません。拵を新しく製作するときに鎺金がないと切羽、つばなどの拵金具を付着できないため、鎺金も必要とされています。研磨された刀は鋭利で、それに覆いかぶせる鞘と柄がないと危険なため、必ず白鞘は装備させなくてはいけません。また、柄巻を行う際に、少し大きめにできている白鞘の柄の部分を削り込んでエイの皮を巻いて、目貫を付着させて糸を巻くことになります。白い板目の出ている鞘は、ある程度削り込んでうるし塗りをします。
過去32年間に寄贈された刀剣類はいろいろな状態で持ち込まれ、最低限の修理修繕がなされ、春と夏に日本町での催しで展示されます。寄贈された刀剣類の例を挙げます。
①1999年の夏に持ち込まれた短刀は重ねも厚く、二人の刀匠によって製作されました。銘は大国斎金光と尚昭です。通常の短刀の2倍半の重さです。 ②2006年の2月6日にジュディー・ヤブモト様から電話があり、ストックトン在住のお父様シゲル・ヤブモト氏(当時90)が日本刀を桑港日本刀博物館に寄贈するよう希望していると告げられ、桑港日本町で会って日本刀を受け取りました。簡単な研磨と切先を修正して研磨し直し、白鞘を新しく製作しました。室町後期に製作された健全な打ち刀で、裏銘が備前国住とありました。珍しい南蛮つばも付いていました。受取証を渡し、この寄贈品は売りに出さないという約束もし、当博物館に永久的に所蔵されることになりました。