2005年12月5日(火)
刀のはなし35
菊池槍
槍(やり)の先駆けの名称は鉾(ほこ)と呼ばれ、我が国最古の武器として考えられています。3千年くらい前に小さなけものを食用にする際に使用したと推察されます。しかし、槍と鉾はその性質、形式、用法などについては混同されています。
槍と鉾は異名同物と考えてもよいと思います。有史以前より使用され、平安朝時代後期、鎌倉時代初期にはほとんど使用されず、再び鎌倉時代後期になって戦場で用いられるようになりました。現存の槍は室町時代のものがほとんどです。槍の形状には袋槍と忠(なかご)槍の2種類があります。
菊池槍の形状は、忠が穂先より2倍か2倍半長くて、柄の先につけて刺突の目的で戦場で使用されました。菊池槍には有名な話があります。南北朝時代、肥後(現在の熊本県)の豪族菊池武光が、少弐(しょうぶ)頼尚の一族と筑後川で戦ったときに、武光の子、武政は短刀をさおの先に付けたものを武器として突く、切る、押すなどしておおいに少弐勢を破りました。この即席短刀槍は非常に有効だったので、菊池一族は地元の延寿鍛冶や九州鍛冶一派に命じ、鵜の首、冠落造(かんむりおとしづくり)片刃の槍を大量生産させ、戦いに備えていたとのことです。
菊池槍の体配はほかにもあります。平造り、菖蒲造り、まれに袋槍もあります。刃長は4、5寸から長いものは2尺前後に達するものもあります。焼刃はみな直刃仕立てで、九州鍛冶特有の小沸(こにえ)が刃縁に沿ってつきます。地鉄はよくつんだ杢目肌が美しく、砂流しの働きも見られます。
現在、桑港日本刀博物館には10振り以上の菊池槍が保管されています。その内2振りを紹介します。
①2004年10月にebayのオークションで買い入れたもの。刃長は22センチ。元重ねは10ミリ。茎長は8センチです。錆び身でしたが、5、6時間研磨して地肌と刃紋が見えるようになりました。②私の日本刀勉強会に来ている生徒がサンフランシスコ近郊で見つけて買い入れたもの。刃長26センチ。元重ね12ミリ。茎長9センチ弱。これもやはり錆び身でしたが、研磨すると、地肌と刃紋が見えてきました。付属の鎺金がなかったので、私が銀無垢の材料を使用して製作しました。
菊池槍
槍(やり)の先駆けの名称は鉾(ほこ)と呼ばれ、我が国最古の武器として考えられています。3千年くらい前に小さなけものを食用にする際に使用したと推察されます。しかし、槍と鉾はその性質、形式、用法などについては混同されています。
槍と鉾は異名同物と考えてもよいと思います。有史以前より使用され、平安朝時代後期、鎌倉時代初期にはほとんど使用されず、再び鎌倉時代後期になって戦場で用いられるようになりました。現存の槍は室町時代のものがほとんどです。槍の形状には袋槍と忠(なかご)槍の2種類があります。
菊池槍の形状は、忠が穂先より2倍か2倍半長くて、柄の先につけて刺突の目的で戦場で使用されました。菊池槍には有名な話があります。南北朝時代、肥後(現在の熊本県)の豪族菊池武光が、少弐(しょうぶ)頼尚の一族と筑後川で戦ったときに、武光の子、武政は短刀をさおの先に付けたものを武器として突く、切る、押すなどしておおいに少弐勢を破りました。この即席短刀槍は非常に有効だったので、菊池一族は地元の延寿鍛冶や九州鍛冶一派に命じ、鵜の首、冠落造(かんむりおとしづくり)片刃の槍を大量生産させ、戦いに備えていたとのことです。
菊池槍の体配はほかにもあります。平造り、菖蒲造り、まれに袋槍もあります。刃長は4、5寸から長いものは2尺前後に達するものもあります。焼刃はみな直刃仕立てで、九州鍛冶特有の小沸(こにえ)が刃縁に沿ってつきます。地鉄はよくつんだ杢目肌が美しく、砂流しの働きも見られます。
現在、桑港日本刀博物館には10振り以上の菊池槍が保管されています。その内2振りを紹介します。
①2004年10月にebayのオークションで買い入れたもの。刃長は22センチ。元重ねは10ミリ。茎長は8センチです。錆び身でしたが、5、6時間研磨して地肌と刃紋が見えるようになりました。②私の日本刀勉強会に来ている生徒がサンフランシスコ近郊で見つけて買い入れたもの。刃長26センチ。元重ね12ミリ。茎長9センチ弱。これもやはり錆び身でしたが、研磨すると、地肌と刃紋が見えてきました。付属の鎺金がなかったので、私が銀無垢の材料を使用して製作しました。