桑港日本刀協会
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2005年11月8日(火)

刀のはなし34

山城伝鍛冶

 山城とは京都のことです。桓武天皇が延暦13(795)年、都を奈良の平城京より京都に移してから急速に発展し、現在の京都府の大半を占める場所です。
 山城伝鍛冶の初祖は三条小鍛冶宗近です。ほかには綾小路一派、粟田口(あわたぐち)一派、来(らい)一派、平城京一派、了戒(りょうかい)一派、達磨一派、長谷部一派が挙げられます。
 次に山城伝法の特徴を挙げます。焼きは小沸えで、姿格好は伝家の宝刀を思わせる立派な感じを受ける長寸で、反りの深い身幅の狭い、小切先(こきりさき)です。刃紋はやや幅の狭い小乱れで、刃中には非凡な働きが表れます。鋩子(ぼうし)は乱れ込んで小丸に返ります。棟は行の棟か、真の棟、または三ツ棟です。彫刻は、刀身の中央あたりに簡素な品位のあるものが見られます。地肌は梨子肌です。
 1991年に機会があって、粟田口鍛冶の刀を研磨させていただきました。肌は実に柔らかく、小杢目(こもくめ)鍛えがよく詰んでいて、沸えは地鉄の奥底から湧いて出たような黄金色の美しいものでした。この粟田口の太刀は長さ、身幅、重ねのすべての点で均整がとれていました。
 1992年の訪日中、手に取って拝見した三条宗近の太刀の現存品は非常に数が少なくなっています。理由は、時代が古いこと、兵乱、火災などの災害を受けたことが挙げられます。また、本来は実戦上に製作されたものではありませんので、使用時には刃こぼれが多く生じ、細身、また、焼幅が狭く、研磨すると焼刃が欠損します。地鉄も柔らかく、小杢目肌に鍛えてあるため美しい肌ですが、折れたり曲がったりして、消耗度の高い作柄です。
 来一派の太刀短刀類は、鍛刀術に優れた以外に受注政策にも成功して、実戦用の鎌倉武士の好む豪壮な太刀も製作しています。なお、静岡県佐野美術館発行の『日本刀、京の各匠、来派の隆盛にみる』を参照ください。 新刀の時代になって、山城伝法を学んだ鍛冶が輩出されています。京都の埋忠明寿(うめただみょうじゅ)の門人として1596年に弟子入りを命じられた肥前国忠吉です。忠吉は山城伝の来国俊や国光らの作品を理想として製作に励み、小沸本位の中直刃という京反りの姿のよい肥前刀を作り上げました。
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