英国ヒストリーチャンネルに出演
以前、英国を本拠地とするドキュメンタリー制作会社の「ヒストリーチャンネル』に我ら剣術道場が出演したことがあります。
この会社は世界中で有名で、関係者が2004年の一月頃にE-mailを通じて鎌倉時代の太刀鍛治『正宗』の教育番組を制作したいと連絡してきました。私は喜んで躊躇せず「いつでも、どこでも、すぐにでも加担します」と申し出、私の剣術道場の生徒数人と私が日本刀関係の試し切りと剣術の実演をしました。
2004年春、数人の英国人が私達の住むサンフランシスコを訪れ、道場と近くにある丘の険しいマクラレンパークで三日間かけて撮影収録を致しました。大きなカメラだったことを覚えています。出演は桑港剣術道場の生徒二名と私達だけで、いわゆる米国代表として、このドキュメンタリーフィルム教育番組の制作に参加した次第です。
このドキュメンタリーは大きく分けて3カ所で製作され、他の二つの場所は日本と英国です。大英博物館員が、鎌倉時代の太刀鍛治であった『正宗』の話を致し、正宗に扮する日本人の語り手が、正宗が生きた元寇の頃の話しを致します。他のシーンは、日本に住む刀鍛治が火戸で作刀をする場面があったり、日本人大学生の剣道のデモがあり赤穂浪士の話もありました。
ドキュメンタリーの初っ端は、私が真剣で試し切りを青竹で行うことで始まります。バックグラウンドは真っ赤です。炎の人丸出しです。そして、上記の正宗の話が始まります。番組の長さは約45分で、私達の日本刀協会、桑港剣術道場の生徒二人と私が出た場面は23分間です。
剣術の生徒は、ユナイテッド航空会社でフライトアテンダントとして勤務するスチュアート・ブラウンさんと、レッドウッドシティーで中学校教師であるブライアン・ケイグルさんを抜擢しました。剣術の乱取りを実演してもらい、他には二人組みでの向かい合う真剣術も行ってもらいました。私が彼等に剣術を指導するシーンもあります。私が抜刀術をすばやく行うシーンもあり、抜刀の際のバックグラウンドでは、刀を抜く度に雷のようにピカピカと光る場面もありました。屋外の収録撮影は結構綺麗に映っていました。
無銘の短刀を手にとった英国博物館員が大げさな態度で、正宗の短刀のことを誇りげに語るシーンもありました。髪の毛のスタイルがオンナみたいで私は笑いを隠せませんでした。
屋内の桑港剣術道場で、私も日本刀を数振り紹介させていただきました。平安時代の太刀、鎌倉時代の小太刀、海部鍛治の作った脇差、江戸時代の短刀などです。日本刀の使い方も簡単に実演しました。桑港刀剣博物館の秘蔵の正宗の太刀を使った研磨のデモも行いました。この太刀は、厳密に言うと茎が大磨り上げされて無銘の刀となってしまっています。名工であった鎌倉時代後期に活躍した正宗は長い太刀と短刀しか製作していません。
収録撮影が終了した6ヶ月後の2004年の10月、世界中で教育番組の一環として このヒストリーチャンネルのプログラムがオンエアされました。ちなみにタイトルは『マスター』です。2004年の11月に行われたカウパレスのガンショーを訪れたジミー李さんは、私を映画スターだと言って「有名なスターから剣術を習いたい」と剣術道場に入門したのです。彼は、このヒストリーチャンネルのプログラムを録画していたので、VHSのコピーを私達に提供してくれました。
実は、このヒストリーチャンネルのプログラムに出演することはものすごく難しいと他の武道家連中に後で聞かされました。彼らは、お金を出しても出演させてもらいたいぐらいだとも言っていました。すごい宣伝になるのです。それも世界中の武道家や日本刀関係の人々が、このヒストリーチャンネルのプログラムを見て勉強するのだとも言っていました。私は、「単に連絡があって、それを受けて自分なりに二人の生徒も手伝ってくれたので収録撮影に加わっただけです」と度肝を抜かれた武道家に言ってやりました。
でもよくよく考えてみると、今回の出演は多分1990年代の初めの頃に英国にちょくちょく参っていたからだと思うのです。大英博物館の地下にある日本刀関係の倉庫で、エリザベス女王の所持する薙刀二振りを鑑定して、作者刀工名を教えてやった実績があったのです。多分、私の日本刀の鑑定が素晴らしく印象的であり、大英博物館の推挙もあってこのヒストリーチャンネルのプログラムに出演することができたのだと私は個人的に思うのです。博物館にある日本刀関係の倉庫は、中世時代にあった元拷問場でした。ダンジェンスです。すごく寒い感じのする場所で、三重、四重に鍵を博物館員が掛けていたのを今でもはっきりと覚えています。銀行のどでかい金庫の様でもありました。確かあの時は、地元英国の剣術道場の生徒二人とサンフランシスコから一緒に来てもらった生徒一人、そして博物館の係り員で合計五人でした。もし係り員が倒れたら、この場所から半日位は外に出られないのではと内心思っていました。
多くの武道家と武術家が羨ましく思うこのヒストリーチャンネルのプログラムに参加出演させていただき、私は光栄そして名誉なことだと思って止まないのです。二人の桑港剣術道場の生徒の手助けがあったからこそ成しえた栄誉です。また、近い将来に向かって躍進致します。
この会社は世界中で有名で、関係者が2004年の一月頃にE-mailを通じて鎌倉時代の太刀鍛治『正宗』の教育番組を制作したいと連絡してきました。私は喜んで躊躇せず「いつでも、どこでも、すぐにでも加担します」と申し出、私の剣術道場の生徒数人と私が日本刀関係の試し切りと剣術の実演をしました。
2004年春、数人の英国人が私達の住むサンフランシスコを訪れ、道場と近くにある丘の険しいマクラレンパークで三日間かけて撮影収録を致しました。大きなカメラだったことを覚えています。出演は桑港剣術道場の生徒二名と私達だけで、いわゆる米国代表として、このドキュメンタリーフィルム教育番組の制作に参加した次第です。
このドキュメンタリーは大きく分けて3カ所で製作され、他の二つの場所は日本と英国です。大英博物館員が、鎌倉時代の太刀鍛治であった『正宗』の話を致し、正宗に扮する日本人の語り手が、正宗が生きた元寇の頃の話しを致します。他のシーンは、日本に住む刀鍛治が火戸で作刀をする場面があったり、日本人大学生の剣道のデモがあり赤穂浪士の話もありました。
ドキュメンタリーの初っ端は、私が真剣で試し切りを青竹で行うことで始まります。バックグラウンドは真っ赤です。炎の人丸出しです。そして、上記の正宗の話が始まります。番組の長さは約45分で、私達の日本刀協会、桑港剣術道場の生徒二人と私が出た場面は23分間です。
剣術の生徒は、ユナイテッド航空会社でフライトアテンダントとして勤務するスチュアート・ブラウンさんと、レッドウッドシティーで中学校教師であるブライアン・ケイグルさんを抜擢しました。剣術の乱取りを実演してもらい、他には二人組みでの向かい合う真剣術も行ってもらいました。私が彼等に剣術を指導するシーンもあります。私が抜刀術をすばやく行うシーンもあり、抜刀の際のバックグラウンドでは、刀を抜く度に雷のようにピカピカと光る場面もありました。屋外の収録撮影は結構綺麗に映っていました。
無銘の短刀を手にとった英国博物館員が大げさな態度で、正宗の短刀のことを誇りげに語るシーンもありました。髪の毛のスタイルがオンナみたいで私は笑いを隠せませんでした。
屋内の桑港剣術道場で、私も日本刀を数振り紹介させていただきました。平安時代の太刀、鎌倉時代の小太刀、海部鍛治の作った脇差、江戸時代の短刀などです。日本刀の使い方も簡単に実演しました。桑港刀剣博物館の秘蔵の正宗の太刀を使った研磨のデモも行いました。この太刀は、厳密に言うと茎が大磨り上げされて無銘の刀となってしまっています。名工であった鎌倉時代後期に活躍した正宗は長い太刀と短刀しか製作していません。
収録撮影が終了した6ヶ月後の2004年の10月、世界中で教育番組の一環として このヒストリーチャンネルのプログラムがオンエアされました。ちなみにタイトルは『マスター』です。2004年の11月に行われたカウパレスのガンショーを訪れたジミー李さんは、私を映画スターだと言って「有名なスターから剣術を習いたい」と剣術道場に入門したのです。彼は、このヒストリーチャンネルのプログラムを録画していたので、VHSのコピーを私達に提供してくれました。
実は、このヒストリーチャンネルのプログラムに出演することはものすごく難しいと他の武道家連中に後で聞かされました。彼らは、お金を出しても出演させてもらいたいぐらいだとも言っていました。すごい宣伝になるのです。それも世界中の武道家や日本刀関係の人々が、このヒストリーチャンネルのプログラムを見て勉強するのだとも言っていました。私は、「単に連絡があって、それを受けて自分なりに二人の生徒も手伝ってくれたので収録撮影に加わっただけです」と度肝を抜かれた武道家に言ってやりました。
でもよくよく考えてみると、今回の出演は多分1990年代の初めの頃に英国にちょくちょく参っていたからだと思うのです。大英博物館の地下にある日本刀関係の倉庫で、エリザベス女王の所持する薙刀二振りを鑑定して、作者刀工名を教えてやった実績があったのです。多分、私の日本刀の鑑定が素晴らしく印象的であり、大英博物館の推挙もあってこのヒストリーチャンネルのプログラムに出演することができたのだと私は個人的に思うのです。博物館にある日本刀関係の倉庫は、中世時代にあった元拷問場でした。ダンジェンスです。すごく寒い感じのする場所で、三重、四重に鍵を博物館員が掛けていたのを今でもはっきりと覚えています。銀行のどでかい金庫の様でもありました。確かあの時は、地元英国の剣術道場の生徒二人とサンフランシスコから一緒に来てもらった生徒一人、そして博物館の係り員で合計五人でした。もし係り員が倒れたら、この場所から半日位は外に出られないのではと内心思っていました。
多くの武道家と武術家が羨ましく思うこのヒストリーチャンネルのプログラムに参加出演させていただき、私は光栄そして名誉なことだと思って止まないのです。二人の桑港剣術道場の生徒の手助けがあったからこそ成しえた栄誉です。また、近い将来に向かって躍進致します。