桑港日本刀協会
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森さんと会ったのは1982年頃でした。サンフランシスコ日本町のブキャナンモールにあるサンコークッキングサプライの前です。鈴木まり子さん経営のキッチンサプライ店です。森さんは、カンナやノミの研ぎ方をデモンストレーションしていました。京都弁丸出しでしゃべりまくっていました。口調がオカマバーのママのようで、私は笑いがこらえられませんでした。
 
自己紹介も終わって、研磨石二本のセットを8ドルで森さんから買いました。小さな長細い青砥と京都産の鳴滝地砥が一本ずつ入っていました。青砥は日本刀の研磨には不向きです。京都産鳴滝砥は小さく砕いて、こっぱにしてから地鉄(じがね)の肌起こし用に使えました。森さんに他の日本刀用の研磨石を売ってくれと頼みました。するとAlbanyの自宅に、種々の日本から直輸入の研磨石がたくさんあると言うので、森邸に参上し備水砥と改正砥を買いました。三河産の中名倉と細名倉の研磨石を買いました。京都産の珍しい研磨石も買わせていただきました。しばらくして友達付き合いをするようになり、日本から両親が訪米した時は、私はPacificaの海で採ってきた烏貝を料理してあげました。大喜びの両親でした。
 
森さんの砥石の知識は相当なものでした。多分、日本で三本指の知識者の中に入る一人でしょう。森さんは、私に鍛冶押しの石をプレゼントしてくれました。この石は米国に一つしかありません。我桑港日本刀協会の看板の一つになりました。しょっちゅう、日本刀展示会場で見せびらかしています。
 
森さんは実に英語が下手でした。悪友の中西さんの奥様が、英語学校に通うように手配を致しましたが、ためらって行きませんでした。我最愛の妻のクララさんが、しばらく英語の勉強を見てあげましたが一向に上達しません。森さんの家に砥石を、買いに行くたびに、私はいつも通訳をさせられ、手紙や文書を読まされ実にかったるかったです。なぜ客の私が通訳や翻訳をしなくてはいけないのでしょう。米国で生きて行く以上、英語はある程度勉強しないと絶対にだめです。特に商売をしている人は英語は必須です。こんな簡単なことを理解できない人はアホです。馬鹿丸出しです。人間をやめれば良いのです。
 
ある時、森さんは日本刀が研磨できると豪語するので、ちょっと突っ込んで質問してみました。答えがちぐはぐで、やっぱり研磨技術はなく、だめでした。私が、日本刀の研磨の実演をすることになりました。森さんは、砥石のことはよく知っていますが日本刀の研磨はできません。他人にうそはつくなと言いたい私です。
 
森さんは、ランチ用によくそばをゆでてご馳走してくれました。ランチの時でも必ず、なんかの酒を飲んでいました。大量の酒です。コレが命取りでした。森さんは2005年に脳が硬くなり他界しました。年もそんなに食っていませんでした。56歳でした。永遠にさようなら。
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