白板(ぱいぱん)
白板はたくさんある麻雀パイの一つです。『パイパン』と読むそうです。自宅近くの、行きつけの中華料理店の中国人のおばさんに白板の漢字を書いて見せ、読み方を聞いたら『バッパン』と言っていました。でも彼女は、ニッコリと薄笑いをしていました。
この言葉を初めて聞いたのは、多分、高校一年生の頃です。クラスメートに、すごいおっさん風なイデタチの少年がいました。川北君です。いつも『パイパン』と言って喜んでいました。中学校の頃から、家族全員と一緒に麻雀を楽しんでいたそうです。でも、この言葉には他の隠された意味があると後で知りました。そうです。そうです。『女性のあそこの毛が無かったり、薄かったりする状態』のことを「パイパン」と呼ぶのです。たまにこの言葉を耳にします。笑いを隠せない時がいつもです。
高校を卒業して、渡米までの2年間近くの時間を空手と剣術の稽古に励んでいました。空手の道場は、横浜チャイナタウンの石川町の駅を下車して徒歩で5分くらいの所にありました。東横線で、元住吉の駅か隣の日吉の駅かのどちらかで乗り込んで、横浜の駅で根岸線に乗り換えて、三つ目の駅が石川町の駅です。家から空手道場に行くのには約45分から一時間くらいは費やしていました。剣術の道場は日吉にありました。私の家から、歩いてすごくきつい坂を2つ越えるのです。足腰が鍛えられました。歩いて約20分弱です。
東横線と根岸線に乗り換える横浜駅には、たくさんの土方のおっさん達がタムロしていました。大体の会話は下ネタです。聞いていて面白かったです。ある日、三人の土方のおっさんがホームの椅子に座っていて、次の電車が来るのを待っていました。私もその三人の直ぐ近くに座って、電車を待っていました。その内の一人が、ホームの反対側に美人の若いお姉さんが歩いているのを発見して「あのオンナは絶対にパイパンだ」と言い張るのです。しかし、違う二人は「パイパンでは無い」と言って、絡みあって取っ組み合いの喧嘩が始まりました。馬鹿な三人組みの土方のおっさん達です。喧嘩を見ているほうが面白かったです。第三者的には、この会話はアホらしくて聞いていられません。訳がわからんです。見ず知らずの姉ちゃんがパイパンだなんて、如何してわかるのでしょう。一人のおっさんは実はスーパーマンで、服を通して何でも見えるんじゃねえかと私は妄想してしまいました。苦笑い。
渡米して、英語の勉強で一生懸命でした。日本人の友達もあんまりいなかったので、パイパンの言葉を聞いたことはまず無かったです。1990年に、日本から来た刀鍛冶の先生に弟子入りし、いろいろな専門知識を伝授してもらいました。1992年の夏に、師匠とカウパレスのガンショウにいた日本刀の売人のテーブルへ行き、日本刀を鑑定していました。師匠の鑑定は実に早かったです。柄を右手で持ち、左手で鞘を持ち、10センチくらい開けて、刀身が本物か軍刀かを即座に吟味するのです。軍刀の時は、がっかりして刀を同じ場所へ戻します。何も語りません。私は質問をして、メモを取っていました。急に「パイパン刀」と言ったので、耳を疑って「すみません、何でございましょう」と、もう一度聞き直しました。やはりパイパン刀でした。師匠がパイパンと言ったので、『どうしようかな』と迷いました。笑って良いのか、乗せられてもらって良いのか、猛烈に迷いました。次に言った言葉で判断させてもらいました。ツルッコベッタンとも言っていました。そうです。私も一緒に、スケベ話に乗らせて頂きました。
昔、師匠が修業中の弟子の頃、先生はお寺の住職さんの三男坊だったそうです。その師匠が、パイパン刀と言ったそうです。長い注釈がありました。刀は、折り返し鍛錬で刀身の表面に肌が出ます。肌の違った名称は、地肌、鍛え肌、地鉄(じがね)とも呼ばれます。第二次世界大戦中に、敵兵をぶった切る為だけに使用された軍刀(半鍛刀と満州刀)は、油焼きで折り返し鍛錬の製作過程をふんでいないので、刀身の表面に杢目肌、板目肌、柾目肌が現われません。つるっとしていて、べっとりとしていて、ピカピカと光っています。それを、師匠の師匠が女性のパイパンの肌のようにツルッコベッタンであると強く力説するのです。他にも、いくつかそのような類の刀鍛冶専門用語がありました。実に笑ってしまいました。刀鍛冶さん達、結構人間味があって面白い人なんだと思いました。そうでしょう。そうでしょう。いつも、まじめでいるので、なんかハメを外すことをしないと、精神的にまいってしまうのでしょう。
昔、ちょっと付き合った中国人の姉ちゃんがパイパンでした。でも、思い出すと、なんとなく私たちの腕にあるような、薄い毛が生えていました。でもあれを、どスケベのオトコ用語で『パイパン』と言うのでしょう。懐かしい、遠い過去を回想する私です。
このような話しを、たまに道場でオトコの生徒たちの前ですると、アホどもは実に喜びます。もちろん女性の生徒が出席している時は、パイパン類の話しはいっさい致しません。一人のオトコの生徒が急に言いました。彼のガールフレンドがノルウェー人で「パイパンモドキだった」と言うのです。他の生徒も、その話しに耳を傾けました。ガールフレンドがプラチナ金髪で、あそこの毛がピーチファズ(桃の表面にうすっらと生えている毛)のようだと言うのです。私も、昔1970年代の中頃と後期頃に多くのドイツ女性や北欧女性が道場に来ていたので、ピーチファズのことを知っていました。でも余計なことを言うと、馬鹿どもがネホリハホリ聞くだろうと思い、黙ってうなずいて聞いているだけでした。
長男の息子が5、6歳の頃に、よく風呂に入れて一緒に遊んでいました。「あ、パイパンだあ」と叫んでいると、妻のクララさんが「何ですか? その日本語は?」と聞くので、説明してあげました。彼女も、薄ら笑いを浮かべていたので、おかしかったです。私は、彼女を友達と思っているので、何事も隠しだてはしないで、いろんなことを面白おかしく話しています。毎日が楽しいです。
2011年の10月に、ebayでツルッコベッタンの満州刀が2500ドルで売られました。気が狂っています。2012年の6月に、半鍛刀が1750ドルで売られました。完全なアホです。無知です。私の、査定決定金額は、両方、共に300ドル前後です。
次のカウパレスのガンショウで、また、ツルッコベッタンのパイパンの軍刀が出て来るだろうと思います。笑いますが、買いません。
この言葉を初めて聞いたのは、多分、高校一年生の頃です。クラスメートに、すごいおっさん風なイデタチの少年がいました。川北君です。いつも『パイパン』と言って喜んでいました。中学校の頃から、家族全員と一緒に麻雀を楽しんでいたそうです。でも、この言葉には他の隠された意味があると後で知りました。そうです。そうです。『女性のあそこの毛が無かったり、薄かったりする状態』のことを「パイパン」と呼ぶのです。たまにこの言葉を耳にします。笑いを隠せない時がいつもです。
高校を卒業して、渡米までの2年間近くの時間を空手と剣術の稽古に励んでいました。空手の道場は、横浜チャイナタウンの石川町の駅を下車して徒歩で5分くらいの所にありました。東横線で、元住吉の駅か隣の日吉の駅かのどちらかで乗り込んで、横浜の駅で根岸線に乗り換えて、三つ目の駅が石川町の駅です。家から空手道場に行くのには約45分から一時間くらいは費やしていました。剣術の道場は日吉にありました。私の家から、歩いてすごくきつい坂を2つ越えるのです。足腰が鍛えられました。歩いて約20分弱です。
東横線と根岸線に乗り換える横浜駅には、たくさんの土方のおっさん達がタムロしていました。大体の会話は下ネタです。聞いていて面白かったです。ある日、三人の土方のおっさんがホームの椅子に座っていて、次の電車が来るのを待っていました。私もその三人の直ぐ近くに座って、電車を待っていました。その内の一人が、ホームの反対側に美人の若いお姉さんが歩いているのを発見して「あのオンナは絶対にパイパンだ」と言い張るのです。しかし、違う二人は「パイパンでは無い」と言って、絡みあって取っ組み合いの喧嘩が始まりました。馬鹿な三人組みの土方のおっさん達です。喧嘩を見ているほうが面白かったです。第三者的には、この会話はアホらしくて聞いていられません。訳がわからんです。見ず知らずの姉ちゃんがパイパンだなんて、如何してわかるのでしょう。一人のおっさんは実はスーパーマンで、服を通して何でも見えるんじゃねえかと私は妄想してしまいました。苦笑い。
渡米して、英語の勉強で一生懸命でした。日本人の友達もあんまりいなかったので、パイパンの言葉を聞いたことはまず無かったです。1990年に、日本から来た刀鍛冶の先生に弟子入りし、いろいろな専門知識を伝授してもらいました。1992年の夏に、師匠とカウパレスのガンショウにいた日本刀の売人のテーブルへ行き、日本刀を鑑定していました。師匠の鑑定は実に早かったです。柄を右手で持ち、左手で鞘を持ち、10センチくらい開けて、刀身が本物か軍刀かを即座に吟味するのです。軍刀の時は、がっかりして刀を同じ場所へ戻します。何も語りません。私は質問をして、メモを取っていました。急に「パイパン刀」と言ったので、耳を疑って「すみません、何でございましょう」と、もう一度聞き直しました。やはりパイパン刀でした。師匠がパイパンと言ったので、『どうしようかな』と迷いました。笑って良いのか、乗せられてもらって良いのか、猛烈に迷いました。次に言った言葉で判断させてもらいました。ツルッコベッタンとも言っていました。そうです。私も一緒に、スケベ話に乗らせて頂きました。
昔、師匠が修業中の弟子の頃、先生はお寺の住職さんの三男坊だったそうです。その師匠が、パイパン刀と言ったそうです。長い注釈がありました。刀は、折り返し鍛錬で刀身の表面に肌が出ます。肌の違った名称は、地肌、鍛え肌、地鉄(じがね)とも呼ばれます。第二次世界大戦中に、敵兵をぶった切る為だけに使用された軍刀(半鍛刀と満州刀)は、油焼きで折り返し鍛錬の製作過程をふんでいないので、刀身の表面に杢目肌、板目肌、柾目肌が現われません。つるっとしていて、べっとりとしていて、ピカピカと光っています。それを、師匠の師匠が女性のパイパンの肌のようにツルッコベッタンであると強く力説するのです。他にも、いくつかそのような類の刀鍛冶専門用語がありました。実に笑ってしまいました。刀鍛冶さん達、結構人間味があって面白い人なんだと思いました。そうでしょう。そうでしょう。いつも、まじめでいるので、なんかハメを外すことをしないと、精神的にまいってしまうのでしょう。
昔、ちょっと付き合った中国人の姉ちゃんがパイパンでした。でも、思い出すと、なんとなく私たちの腕にあるような、薄い毛が生えていました。でもあれを、どスケベのオトコ用語で『パイパン』と言うのでしょう。懐かしい、遠い過去を回想する私です。
このような話しを、たまに道場でオトコの生徒たちの前ですると、アホどもは実に喜びます。もちろん女性の生徒が出席している時は、パイパン類の話しはいっさい致しません。一人のオトコの生徒が急に言いました。彼のガールフレンドがノルウェー人で「パイパンモドキだった」と言うのです。他の生徒も、その話しに耳を傾けました。ガールフレンドがプラチナ金髪で、あそこの毛がピーチファズ(桃の表面にうすっらと生えている毛)のようだと言うのです。私も、昔1970年代の中頃と後期頃に多くのドイツ女性や北欧女性が道場に来ていたので、ピーチファズのことを知っていました。でも余計なことを言うと、馬鹿どもがネホリハホリ聞くだろうと思い、黙ってうなずいて聞いているだけでした。
長男の息子が5、6歳の頃に、よく風呂に入れて一緒に遊んでいました。「あ、パイパンだあ」と叫んでいると、妻のクララさんが「何ですか? その日本語は?」と聞くので、説明してあげました。彼女も、薄ら笑いを浮かべていたので、おかしかったです。私は、彼女を友達と思っているので、何事も隠しだてはしないで、いろんなことを面白おかしく話しています。毎日が楽しいです。
2011年の10月に、ebayでツルッコベッタンの満州刀が2500ドルで売られました。気が狂っています。2012年の6月に、半鍛刀が1750ドルで売られました。完全なアホです。無知です。私の、査定決定金額は、両方、共に300ドル前後です。
次のカウパレスのガンショウで、また、ツルッコベッタンのパイパンの軍刀が出て来るだろうと思います。笑いますが、買いません。