桑港日本刀協会
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2005年7月5日(火)

刀のはなし30

大和伝の名工たち

 古刀五カ伝中で最も古い流派、大和伝鍛冶の話をします。
 平安時代の前に当たる上古時代に製作された剣や矛類は、奈良の正倉院の刀剣類、古千手院(こせんじゅいん)と称されるものや、大和より分かれて九州に移住した薩摩の古波平(こなみのひら)鍛冶など、数少ない遺品があるのみで、そこから大和伝の作風をはかり知ることができます。上古時代の大和伝法の有銘確実な現存刀は皆無です。
 京都に都が移ると、南都の地、奈良の鍛冶は衰退の一途をたどります。注文主を失うと同時に朝廷からの援助金も断たれ、大和鍛冶も新都である京都に移住しなければなりませんでした。
 平安時代末期ごろ、藤原氏の仏教振興政策で大和の地は日本全国の仏教の元締めとなり、奈良の諸寺院、仏閣の勢力が増強され、強大な僧兵が出現し、大量の刀剣類の製作が要求され、ここに大和鍛冶の繁栄を見るに至りました。
 大和鍛冶の特色は、製作地が大和国全域に広がっていて、大寺院の門下に付随して、その強大な僧兵用の刀剣類を鍛えていることです。寺院のお抱え鍛冶による非売品だったので、刀剣類には銘を入れる必要性がなく、在銘品はほとんど存在しません。
 昔は寺院や上司、抱え主の豪族などに刀剣類を奉入する際には遠慮をして、銘を忠に入れないのが習慣でした。
 大和伝の造り込みは実用を重んじた長寸で、しっかりとした姿格好をしています。刃紋は中沸本位の直刃を基本として、刃縁(はぶち)がよく沸え、二重刃、食い違いの状態を示し、裏表の刃紋がよく揃っています。鎬(しのぎ)が高く、棟の重ねを薄く造る傾向があります。地肌は板目に柾目が必ず交じります。他の働きにはほつれ、掃掛けなどの縦の働きが表れます。鋩子は火焔(かえん)、掃掛、焼詰めとなり、強い沸えが激しく表れています
 次に大和伝の本国での主要刀工団を挙げてみます。
 ①千手院鍛冶(寺名を冠しています)
 ②当麻(たぎま)鍛冶(寺名です)
 ③手掻(てがい)鍛冶(東大寺門前の町名。転掻より転じた名前)
 ④保昌鍛冶
 ⑤尻懸(しっかけ)鍛冶(しりかけとも読む)
  これらは鎌倉時代に最も栄えた鍛冶刀工団です。戦国時代には、金房一門と竜門一門が挙げられます。室町時代を過ぎるころには、そのほとんどが諸国の豪族を頼って分散していき、消滅しています。現存する日本刀の2%弱が大和伝鍛冶によって製作されました。
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