本当の指導者
本当のリーダー格の人間は、尋常の人が見ただけでは簡単には確認できません。まず、普通人はそれが見えないのです。でも、よく説明をして論理的に解説すればもちろん解るでしょう。
昔から戦争は行われて来ました。戦国時代には、大将が先陣をきって、戦闘隊の一番先に位置して敵陣めがけて、馬に乗って走っていました。最初に死ぬのが、大体が大将でした。それが美徳のようになっていて、誉れ高いことでした。今は、元帥(大将)は無線連絡で命令を出して、一番後方の場所に陣をとって大きな椅子に座っています。よほどのことが無い限り、大将は死なないのです。最前線で死ぬのは、哀れなことにいつも決まっていて、18歳から21歳の若い将来性のある兵隊達で、最初にあの世に行きます。私が大将だったら、用無し、技術無しの、やっかいなくそジジイ達を最前線に持っていきます。最近は世の中が変わりました。矛盾だらけです。でも、たくさんの面白い楽しいこともあります。
私が小学校三年生、四年生の頃は、級友と外の野山で激しく、強烈に遊んでいました。その頃は、今のようにコンピューターゲームはありません。体を使った木登り、走り、跳躍、戦争ゴッコ、チャンバラなどが主な遊びです。私は、いつも興味深い遊びやゲームを考案して友達みんなと遊んでいました。しばらくすると、その遊びはマンネリ化して、奴等は私を村八分にして、自分達だけで遊び始めるのです。そして、今度は私が新しい遊びやゲームを発案して一人で楽しんでいると、私の方を見ます。『俺たちも一緒に入れてくれ』とセガムのです。しかし、『また、私がリーダーにならなくては、おもろい遊びは教えないぞ』とつっぱねるのです。大体、私ははっきり言って、一人で遊んでいても全然さびしくないし、友達がいよういまいとどっちでも良いのです。全然気にならないし、関係の無いことなのです。少年の頃から、いつもリーダー格で人生を過ごしてきました。
今も、桑港剣術道場でえばっています。独裁者的です。気に入らん奴等、利益にならない奴等には、ドアを指さし退場させます。付け上がる奴等は絶対に容赦はしません。金は死んでも貸しません。
生徒には『私は先生であり、道場長ではあるが、それは日本武術とか日本刀関連の領域内での話です。他の課題は無知なので、君たちが私の先生になることが可能です』と、いつも道場で言っています。自分の知らない分野に登場したり、シャシャリ出るのは邪道です。昔から、役者とか歌手が政治かなんかに口出しをしたり、専門家気取りでシャシャリ出ています。あれはどうも解せないです。知らないことやできないことは、専門家に任せておけば良いのです。
私の道場には、いろんな専門家がいます。医者、弁護士、税務署員、車のメカニック、電気技師、機械技師、学校の先生、警察官、連邦警察官等です。女性も数人います。そして、いろんな人種が存在します。実に良いことです。差別はしません。この新天地のアメリカでは、人種差別をしてはいけないのです。日本は島国なので差別があります。今はだいぶ良くなったようですが、まだあります。しかし、世界中のどこへ行っても、人種差別の無い国はありえないのです。異邦人、野蛮人、移民、渡来人、悪人、前科者、外国人、南蛮人、紅毛人が必ずいます。
毎年の四月に、サンフランシスコ日本町で恒例の桜祭りがあります。二週続きで催されます。最終日の日曜日はグランドパレードの行進があり、私たち桑港剣術道場の会員達は剣術と試し切りのデモを行います。サンフランシスコ市役所から出発してPolk Streetを北上します。次にPost Streetを西に向かって行進します。Van Ness通りを横切って、日本町を通り抜けて、日本町の外れのFilmore Streetの終着地までの17ブロックを歩きます。結構きつい坂も歩いて行進です。生徒の数は、大体七、八人位です。落ちこぼれが出てはいけません。声をかけて、疲れた者がいればトラックの後ろに座らせます。喉の渇いた生徒には水を飲ませます。私は、いろんな角度から行進隊員を見ています。私は、必ず後ろから彼等を見ています。全体を調整しています。全員を同じようなテンポで歩かせようと声をかけています。最近は笛を吹いています。江戸時代に使われた呼笛です。ほら貝も吹きます。本当の指導者は、後ろから生徒全員を見ながら押して行くのです。
昔から戦争は行われて来ました。戦国時代には、大将が先陣をきって、戦闘隊の一番先に位置して敵陣めがけて、馬に乗って走っていました。最初に死ぬのが、大体が大将でした。それが美徳のようになっていて、誉れ高いことでした。今は、元帥(大将)は無線連絡で命令を出して、一番後方の場所に陣をとって大きな椅子に座っています。よほどのことが無い限り、大将は死なないのです。最前線で死ぬのは、哀れなことにいつも決まっていて、18歳から21歳の若い将来性のある兵隊達で、最初にあの世に行きます。私が大将だったら、用無し、技術無しの、やっかいなくそジジイ達を最前線に持っていきます。最近は世の中が変わりました。矛盾だらけです。でも、たくさんの面白い楽しいこともあります。
私が小学校三年生、四年生の頃は、級友と外の野山で激しく、強烈に遊んでいました。その頃は、今のようにコンピューターゲームはありません。体を使った木登り、走り、跳躍、戦争ゴッコ、チャンバラなどが主な遊びです。私は、いつも興味深い遊びやゲームを考案して友達みんなと遊んでいました。しばらくすると、その遊びはマンネリ化して、奴等は私を村八分にして、自分達だけで遊び始めるのです。そして、今度は私が新しい遊びやゲームを発案して一人で楽しんでいると、私の方を見ます。『俺たちも一緒に入れてくれ』とセガムのです。しかし、『また、私がリーダーにならなくては、おもろい遊びは教えないぞ』とつっぱねるのです。大体、私ははっきり言って、一人で遊んでいても全然さびしくないし、友達がいよういまいとどっちでも良いのです。全然気にならないし、関係の無いことなのです。少年の頃から、いつもリーダー格で人生を過ごしてきました。
今も、桑港剣術道場でえばっています。独裁者的です。気に入らん奴等、利益にならない奴等には、ドアを指さし退場させます。付け上がる奴等は絶対に容赦はしません。金は死んでも貸しません。
生徒には『私は先生であり、道場長ではあるが、それは日本武術とか日本刀関連の領域内での話です。他の課題は無知なので、君たちが私の先生になることが可能です』と、いつも道場で言っています。自分の知らない分野に登場したり、シャシャリ出るのは邪道です。昔から、役者とか歌手が政治かなんかに口出しをしたり、専門家気取りでシャシャリ出ています。あれはどうも解せないです。知らないことやできないことは、専門家に任せておけば良いのです。
私の道場には、いろんな専門家がいます。医者、弁護士、税務署員、車のメカニック、電気技師、機械技師、学校の先生、警察官、連邦警察官等です。女性も数人います。そして、いろんな人種が存在します。実に良いことです。差別はしません。この新天地のアメリカでは、人種差別をしてはいけないのです。日本は島国なので差別があります。今はだいぶ良くなったようですが、まだあります。しかし、世界中のどこへ行っても、人種差別の無い国はありえないのです。異邦人、野蛮人、移民、渡来人、悪人、前科者、外国人、南蛮人、紅毛人が必ずいます。
毎年の四月に、サンフランシスコ日本町で恒例の桜祭りがあります。二週続きで催されます。最終日の日曜日はグランドパレードの行進があり、私たち桑港剣術道場の会員達は剣術と試し切りのデモを行います。サンフランシスコ市役所から出発してPolk Streetを北上します。次にPost Streetを西に向かって行進します。Van Ness通りを横切って、日本町を通り抜けて、日本町の外れのFilmore Streetの終着地までの17ブロックを歩きます。結構きつい坂も歩いて行進です。生徒の数は、大体七、八人位です。落ちこぼれが出てはいけません。声をかけて、疲れた者がいればトラックの後ろに座らせます。喉の渇いた生徒には水を飲ませます。私は、いろんな角度から行進隊員を見ています。私は、必ず後ろから彼等を見ています。全体を調整しています。全員を同じようなテンポで歩かせようと声をかけています。最近は笛を吹いています。江戸時代に使われた呼笛です。ほら貝も吹きます。本当の指導者は、後ろから生徒全員を見ながら押して行くのです。