日本刀無料鑑定
私は鑑定場所で即答の銘読みをします。次に銘を吟味しますが、これが正真銘であるか偽銘であるかを見分けて判断、そして最終決定するのです。簡単な過程のようですが、ものすごい知識と判断力と経験が要ります。
日本刀無料鑑定はど素人にとって、漢字が読めても刀の茎(なかご)にある銘は簡単には読めないのでできないものです。少なくとも、日本の歴史、地理、干支を勉強していないと難しいです。漢字の読みには音読みと訓読みがあるので、それを理解してない人は日本人でも刀の銘は読めません。大学卒でも、刀銘はまず読むことはできないのです。
サンフランシスコのある大きなオークションハウスのカタログに、備前長船の刀が出ていて、なんと「Baizen Nagafune(ばいぜんながふね)」と読んでいたのです。実に幼稚なので大爆笑。そのカタログはいまだに大切に持っています。ど素人である良い例です。ある英語の本には、外様大名を「そとざまだいみょう」と読んで書いてあったので、またまた大爆笑です。著者はフレスノ生まれの日系人でした。このお方は地鉄を「じてつ」と読んでいました。小学一年生の読みです。本の著者があきれます。このお方かなり悪質です。
私は1978年からしばらく、矯正歯科医師の所で働くデンタルテクニシャン(歯科技工士)をしていました。会社の社長は私にとても良くしてくれました。奥様、娘さん二人と息子さんとも家族ぐるみの付き合いをさせていただきました。社長が1982年の秋ごろに「家宝の名前入りの日本刀を買うことになったので吟味してくれ」と私に要請があり、ヒルスボロウにある社長の大邸宅を訪問し、応接間の隣のキッチンルームで待機。緑茶を飲んで奥様と世間話をしていました。隣の応接間では、例の「Mr. Jitetsu Sotozama」と社長が商談の真っ最中です。社長が家宝の日本刀を持ってキッチンに入ってきました。長い刀ではなくて、短い脇差しでした。刃渡りは45センチメートルの犬追いがたなでした。社長は「いくらの価値があるか」と聞くので、即答で「200ドル」と教えてあげました。社長のびっくりした顔が今でも思い浮かびます。チンケな犬追い脇差の値段は、なんと1万5000ドルでした。棟区の上部に社長の苗字が彫ってありました。これは最悪質の業者です。余談ですが、この犬追い脇差と30年近くたってから再会したのです。桑港剣術道場の窓ガラスの内側に「無料鑑定、日本刀高価買い入れ現金払い」のサインがあります。これらのサインを見た人々が次々に連絡してきます。昔働いていた会社の社長と同じ苗字の人が、奥さんと小さな子供を連れて2010年の10月に無料鑑定のために道場に参りました。30年近く前に吟味した、1万5000ドルの価格のついた、犬追い脇差との再会でした。懐かしく思いました。なお、風のうわさに「Mr. Jitetsu Sotozama」は1988年の10月にお亡くなりになったそうです。
私の鑑定場所には変な米国人(特に白人)が訪れます。日本に住んでいたとか、日本に戦後しばらくいたとか、日本人のガールフレンドと付き合っていたとか言って、人なつっこい口調で話しかけてきます。年は70とか80の爺さんたちです。言葉の言い回しが「オンナ」です。私はすぐに連中の住んでいたところや、通っていたところが想像できます。こんな連中が日本刀の業者になったら最悪です。日本語が判るはずがありません。漢字が読めるなんて絶対にないのです。即答の銘読みもできないのです。
一度、無料鑑定をしていやな思いをしたことがあります。2005年頃のカウパレスのガンショウでした。ある米国人が、薄錆のある脇差を私の日本刀展示会場に持参。早速、丁寧に説明をして査定書も分かりやすく2ページ書いてあげました。20分位すると、拳銃とライフルを売る業者の一人が文句を言いに来ました。「俺の脇差を売る邪魔をしてくれるな」と言うのです。文句の言い方がやさしかったので、そいつは死ななくてすみました。その事件があってから、日本刀の無料鑑定は、その刀の持ち主にしか行わないように決めました。
現在、年間に行う日本刀の無料鑑定は百振りと少しで、以前はガンショウがサンマテオとデイリーシティーで交互に毎月あったので鑑定刀がものすごく多かったです。日本刀無料鑑定まだまだ続きます。
日本刀無料鑑定はど素人にとって、漢字が読めても刀の茎(なかご)にある銘は簡単には読めないのでできないものです。少なくとも、日本の歴史、地理、干支を勉強していないと難しいです。漢字の読みには音読みと訓読みがあるので、それを理解してない人は日本人でも刀の銘は読めません。大学卒でも、刀銘はまず読むことはできないのです。
サンフランシスコのある大きなオークションハウスのカタログに、備前長船の刀が出ていて、なんと「Baizen Nagafune(ばいぜんながふね)」と読んでいたのです。実に幼稚なので大爆笑。そのカタログはいまだに大切に持っています。ど素人である良い例です。ある英語の本には、外様大名を「そとざまだいみょう」と読んで書いてあったので、またまた大爆笑です。著者はフレスノ生まれの日系人でした。このお方は地鉄を「じてつ」と読んでいました。小学一年生の読みです。本の著者があきれます。このお方かなり悪質です。
私は1978年からしばらく、矯正歯科医師の所で働くデンタルテクニシャン(歯科技工士)をしていました。会社の社長は私にとても良くしてくれました。奥様、娘さん二人と息子さんとも家族ぐるみの付き合いをさせていただきました。社長が1982年の秋ごろに「家宝の名前入りの日本刀を買うことになったので吟味してくれ」と私に要請があり、ヒルスボロウにある社長の大邸宅を訪問し、応接間の隣のキッチンルームで待機。緑茶を飲んで奥様と世間話をしていました。隣の応接間では、例の「Mr. Jitetsu Sotozama」と社長が商談の真っ最中です。社長が家宝の日本刀を持ってキッチンに入ってきました。長い刀ではなくて、短い脇差しでした。刃渡りは45センチメートルの犬追いがたなでした。社長は「いくらの価値があるか」と聞くので、即答で「200ドル」と教えてあげました。社長のびっくりした顔が今でも思い浮かびます。チンケな犬追い脇差の値段は、なんと1万5000ドルでした。棟区の上部に社長の苗字が彫ってありました。これは最悪質の業者です。余談ですが、この犬追い脇差と30年近くたってから再会したのです。桑港剣術道場の窓ガラスの内側に「無料鑑定、日本刀高価買い入れ現金払い」のサインがあります。これらのサインを見た人々が次々に連絡してきます。昔働いていた会社の社長と同じ苗字の人が、奥さんと小さな子供を連れて2010年の10月に無料鑑定のために道場に参りました。30年近く前に吟味した、1万5000ドルの価格のついた、犬追い脇差との再会でした。懐かしく思いました。なお、風のうわさに「Mr. Jitetsu Sotozama」は1988年の10月にお亡くなりになったそうです。
私の鑑定場所には変な米国人(特に白人)が訪れます。日本に住んでいたとか、日本に戦後しばらくいたとか、日本人のガールフレンドと付き合っていたとか言って、人なつっこい口調で話しかけてきます。年は70とか80の爺さんたちです。言葉の言い回しが「オンナ」です。私はすぐに連中の住んでいたところや、通っていたところが想像できます。こんな連中が日本刀の業者になったら最悪です。日本語が判るはずがありません。漢字が読めるなんて絶対にないのです。即答の銘読みもできないのです。
一度、無料鑑定をしていやな思いをしたことがあります。2005年頃のカウパレスのガンショウでした。ある米国人が、薄錆のある脇差を私の日本刀展示会場に持参。早速、丁寧に説明をして査定書も分かりやすく2ページ書いてあげました。20分位すると、拳銃とライフルを売る業者の一人が文句を言いに来ました。「俺の脇差を売る邪魔をしてくれるな」と言うのです。文句の言い方がやさしかったので、そいつは死ななくてすみました。その事件があってから、日本刀の無料鑑定は、その刀の持ち主にしか行わないように決めました。
現在、年間に行う日本刀の無料鑑定は百振りと少しで、以前はガンショウがサンマテオとデイリーシティーで交互に毎月あったので鑑定刀がものすごく多かったです。日本刀無料鑑定まだまだ続きます。