放火魔の日本人、斉藤芳雄
1987年ごろでした。斉藤芳雄と名乗っていましたが、この男かなり悪党です。この名前も、本名かどうかわかりません。ある教会の司教さんに押し付けられました。
武術鍛錬をサンフランシスコの日本町近くにある教会を借りて週末に行ってた時のことです。そこに日本人らしき男がいました。「日本人?」と聞くと「はい、そうです」と答えが返ってきました。名前は斉藤芳雄と名乗りました。そこの司教さんが、彼のことをしばらく面倒見て預かってくれと頼むので、断りきれず家に連れて帰りました。
無職でいつもオドオドしていました。学生ビザが切れていると抜かすのです。警察が来る来るとオドオドしています。いつも後ろ振り返って見ていました。思い込みが激しく、いつも挙動不審で脅えていました。日本で板前の仕事をしていたそうです。バークレー市の近くのすし屋に紹介して、仕事を見つけてやりましたが、二日でクビを切られました。酒を飲んで、酔っ払って、訳のわからないことを口走るそうです。包丁を振り回すそうです。すし屋の旦那さんが、一家皆殺しにされるかもしれないと怖がり始めたそうです。その後、いろんなことで一週間くらい面倒を見てやりましたが、腹が立ってきました。斉藤芳雄は人間失格です。盗人です。こそ泥です。大ホラ吹きです。
他にも、ちょっといざこざがありました。斉藤芳雄がパートで働く寿司屋の近くを、私の尊敬する人生の友の中西さんが通りがかりました。いきなり中西さんの前をさえぎり、身構える斉藤芳雄です。喧嘩を仕掛ける斉藤です。中西さんは少林寺拳法を日本で習っていたので、まん前で誰かに身構えられると、自動的に攻撃してしまうそうです。何も知らないアホな斉藤は中西さんに投げ倒され、蹴りを入れられ、顔を13回なぐられ、血まみれになりました。そして、寿司屋の店先に這えずりながらたどり着いて、中に入ると寿司屋の旦那さんが血まみれの斉藤を見てびっくり致しました。奥のちゅう房の裏に連れて行き介抱してやったそうです。
私も、悪党の斉藤芳雄を私の家から完全に追い出すことにしました。 その頃、私は矯正歯科医師の一の谷先生の所で働いていました。社長の知り合いの宗教団体の家に連れて行くことにしました。そこの司教さん兄弟が日本に滞在していて、一応私は電話連絡を日本にしてお兄さんと話し、許可をもらい、斉藤芳雄を教会へ連れて行って一見落着です。
しかし、三日ほど経って電話があり、弟さんの方が斉藤芳雄を昔教会で預かっていたことがあり、えらい迷惑を被っていたそうです。教会にあった酒を全部飲んで、水にすり替えていたそうです。それを聞いた私は実にむかついて、教会に参りました。斉藤が、教会の掃除に来ていたボブと一緒に話していました。「日本にいる司教さんの弟が、あんたのことを知っていて、昔ここに来ていて悪さをしていたので、直ぐに教会から出て行くようにと言っている」と斉藤に告げました。斉藤はすぐに説得に応じたので、一応私は帰途につきました。しかし、斉藤芳雄が信じられず教会へ引き返しました。やっぱり直ぐに出て行かずに、そこにいました。白人で、背の小さいボブは小心者なので、丸め込まれていました。悪い奴を褒める訳ではありませんが、斉藤芳雄の英語は他の日本人よりもずっとうまかったです。あの英会話のレベルなら、ちゃんとした仕事に就いたり、事業を始めれば、新天地のアメリカで成功していたでしょう。
教会に靴を脱いで上がると斉藤が裏から出てきました。私は、いきなり追い突きを入れて、斉藤を5メートルほど突き飛ばして、前回し蹴りを3発かまして、倒れた斉藤の腎臓あたりを鍛えている現役の両鉄拳で連打しました。死んだらヤバイので、力加減は六割強です。しかし、驚いたことに急所を隠しながら這いつくばる斉藤でした。あいつは、かなり喧嘩慣れしていました。ちょっと関心してしまいました。昔、横浜中華街で暴れていた頃、喧嘩なれした奴等がたくさんいました。殴られ上手な奴もたくさんいました。急所をうまく蹴りとか連打から、外すのです。でも、私はそういう奴等の裏をかいて、いつも前歯を四、五本か肋骨二、三本折っていました。所詮、ど素人は筋金入りの私にはかなわないのです。
次に、斉藤芳雄の洋服の入ったバッグを外に放り出しました。ボブに「斉藤芳雄がまた戻ってきたら警察に電話しろ」と言って家に帰りました。
しばらくして、私の留守電に、恐喝、ののしり内容のメッセージが斉藤より数回残されていました。結構うまい英語です。日本語のメッセージもありました。日本語と英語の半々の留守電も残されていました。英語は確かにうまいと関心してしまいました。しかし、一つアホなことを言いました。「今、サンチェス・ストリートとドロレス・ストリート近くの22番街のある宗教団体の世話になっていて、そこにいる」と申すのです。人のことをののしり怒らせておいて、次に自分の居場所を言う馬鹿がこの世に存在するのでしょうか。酒か薬でおかしくなって、正常な吟味ができなくなっているのです。本当に馬鹿は、死ななきゃ直らないなと思いました。そこへ、ある金曜日の夕方に参ってみると本当にいたんです。変な化粧のようなのをしていました。ブスのオンナが良くやるような中途半端な化粧です。服装は、インドかアラビア風のバスタオルをまとっているようで、色はくすんだ薄いオレンジとか水色です。野菜サラダのようなものを皿に盛っていました。また、ちょっと暴れて投げ飛ばしてやろうかなと思いましたが、過剰防衛とか住居不法侵入とか抜かして、裁判沙汰にでもなったら大変です。冷静に振舞いました。そこを出て帰途につきました。触らぬ某に祟り無しです。
しばらくして、探偵を雇って斉藤芳雄のことを探ってみました。驚きです。指名手配にはなっていませんでしたが、サンタクルーズで放火の疑いで捕まっていました。証拠不十分で、裁判長が釈放したそうです。もしかして、プッツン切れてサンフランシスコ近辺で放火魔になっていたかもしれません。それ以来、頼まれても日本人でも、どこの国の人でもお世話するのはお断りです。とにかく、酒癖の悪い奴はなんの利益にもなりません。寄生虫です。
皆さん、斉藤芳雄の名前を聞いたら、移民局と警察に連絡いたしましょう。
武術鍛錬をサンフランシスコの日本町近くにある教会を借りて週末に行ってた時のことです。そこに日本人らしき男がいました。「日本人?」と聞くと「はい、そうです」と答えが返ってきました。名前は斉藤芳雄と名乗りました。そこの司教さんが、彼のことをしばらく面倒見て預かってくれと頼むので、断りきれず家に連れて帰りました。
無職でいつもオドオドしていました。学生ビザが切れていると抜かすのです。警察が来る来るとオドオドしています。いつも後ろ振り返って見ていました。思い込みが激しく、いつも挙動不審で脅えていました。日本で板前の仕事をしていたそうです。バークレー市の近くのすし屋に紹介して、仕事を見つけてやりましたが、二日でクビを切られました。酒を飲んで、酔っ払って、訳のわからないことを口走るそうです。包丁を振り回すそうです。すし屋の旦那さんが、一家皆殺しにされるかもしれないと怖がり始めたそうです。その後、いろんなことで一週間くらい面倒を見てやりましたが、腹が立ってきました。斉藤芳雄は人間失格です。盗人です。こそ泥です。大ホラ吹きです。
他にも、ちょっといざこざがありました。斉藤芳雄がパートで働く寿司屋の近くを、私の尊敬する人生の友の中西さんが通りがかりました。いきなり中西さんの前をさえぎり、身構える斉藤芳雄です。喧嘩を仕掛ける斉藤です。中西さんは少林寺拳法を日本で習っていたので、まん前で誰かに身構えられると、自動的に攻撃してしまうそうです。何も知らないアホな斉藤は中西さんに投げ倒され、蹴りを入れられ、顔を13回なぐられ、血まみれになりました。そして、寿司屋の店先に這えずりながらたどり着いて、中に入ると寿司屋の旦那さんが血まみれの斉藤を見てびっくり致しました。奥のちゅう房の裏に連れて行き介抱してやったそうです。
私も、悪党の斉藤芳雄を私の家から完全に追い出すことにしました。 その頃、私は矯正歯科医師の一の谷先生の所で働いていました。社長の知り合いの宗教団体の家に連れて行くことにしました。そこの司教さん兄弟が日本に滞在していて、一応私は電話連絡を日本にしてお兄さんと話し、許可をもらい、斉藤芳雄を教会へ連れて行って一見落着です。
しかし、三日ほど経って電話があり、弟さんの方が斉藤芳雄を昔教会で預かっていたことがあり、えらい迷惑を被っていたそうです。教会にあった酒を全部飲んで、水にすり替えていたそうです。それを聞いた私は実にむかついて、教会に参りました。斉藤が、教会の掃除に来ていたボブと一緒に話していました。「日本にいる司教さんの弟が、あんたのことを知っていて、昔ここに来ていて悪さをしていたので、直ぐに教会から出て行くようにと言っている」と斉藤に告げました。斉藤はすぐに説得に応じたので、一応私は帰途につきました。しかし、斉藤芳雄が信じられず教会へ引き返しました。やっぱり直ぐに出て行かずに、そこにいました。白人で、背の小さいボブは小心者なので、丸め込まれていました。悪い奴を褒める訳ではありませんが、斉藤芳雄の英語は他の日本人よりもずっとうまかったです。あの英会話のレベルなら、ちゃんとした仕事に就いたり、事業を始めれば、新天地のアメリカで成功していたでしょう。
教会に靴を脱いで上がると斉藤が裏から出てきました。私は、いきなり追い突きを入れて、斉藤を5メートルほど突き飛ばして、前回し蹴りを3発かまして、倒れた斉藤の腎臓あたりを鍛えている現役の両鉄拳で連打しました。死んだらヤバイので、力加減は六割強です。しかし、驚いたことに急所を隠しながら這いつくばる斉藤でした。あいつは、かなり喧嘩慣れしていました。ちょっと関心してしまいました。昔、横浜中華街で暴れていた頃、喧嘩なれした奴等がたくさんいました。殴られ上手な奴もたくさんいました。急所をうまく蹴りとか連打から、外すのです。でも、私はそういう奴等の裏をかいて、いつも前歯を四、五本か肋骨二、三本折っていました。所詮、ど素人は筋金入りの私にはかなわないのです。
次に、斉藤芳雄の洋服の入ったバッグを外に放り出しました。ボブに「斉藤芳雄がまた戻ってきたら警察に電話しろ」と言って家に帰りました。
しばらくして、私の留守電に、恐喝、ののしり内容のメッセージが斉藤より数回残されていました。結構うまい英語です。日本語のメッセージもありました。日本語と英語の半々の留守電も残されていました。英語は確かにうまいと関心してしまいました。しかし、一つアホなことを言いました。「今、サンチェス・ストリートとドロレス・ストリート近くの22番街のある宗教団体の世話になっていて、そこにいる」と申すのです。人のことをののしり怒らせておいて、次に自分の居場所を言う馬鹿がこの世に存在するのでしょうか。酒か薬でおかしくなって、正常な吟味ができなくなっているのです。本当に馬鹿は、死ななきゃ直らないなと思いました。そこへ、ある金曜日の夕方に参ってみると本当にいたんです。変な化粧のようなのをしていました。ブスのオンナが良くやるような中途半端な化粧です。服装は、インドかアラビア風のバスタオルをまとっているようで、色はくすんだ薄いオレンジとか水色です。野菜サラダのようなものを皿に盛っていました。また、ちょっと暴れて投げ飛ばしてやろうかなと思いましたが、過剰防衛とか住居不法侵入とか抜かして、裁判沙汰にでもなったら大変です。冷静に振舞いました。そこを出て帰途につきました。触らぬ某に祟り無しです。
しばらくして、探偵を雇って斉藤芳雄のことを探ってみました。驚きです。指名手配にはなっていませんでしたが、サンタクルーズで放火の疑いで捕まっていました。証拠不十分で、裁判長が釈放したそうです。もしかして、プッツン切れてサンフランシスコ近辺で放火魔になっていたかもしれません。それ以来、頼まれても日本人でも、どこの国の人でもお世話するのはお断りです。とにかく、酒癖の悪い奴はなんの利益にもなりません。寄生虫です。
皆さん、斉藤芳雄の名前を聞いたら、移民局と警察に連絡いたしましょう。