悪質な米国人研ぎ師
「研ぎ師」と自分たちを呼ぶ米国人は、下手な嘘をいろいろ言っています。特に、相手が日本刀の知識がないと分かるとつけ上がります。「日本で超一流の先生について修業した」とか、「日本語ができる」とか、いい加減な嘘を言ってのけます。
前にも申し上げたように、「研ぎ師」と言う言葉は、ど素人が使う言葉です。私が指導をする日本刀協会では、研磨(けんま)と研磨師(けんまし)の言葉を使用しています。この言葉は、漢字が読める人々には説明する必要がないのです。漢字が読めれば、研磨の方が、研ぎよりも専門的な言葉と言うことがすぐに分かるのです。
1990年に米国で修理修繕の仕事を承っている日本人に出会いました。場所は刀剣ショウ。息子さんと一緒に参っていて、テーブルにはあまり日本刀が飾れていませんでした。日本から年間に三、四回訪米して、米国各地を廻り日本刀を買ったり、修理修繕の仕事を受けていると言っていました。年は67、8歳位、東京弁まるだしで話していました。江戸っ子気質があり、飾り気がなく、大工の棟梁か築地で働く魚商売の元締めのような感じでした。どのくらい日本刀のことが分かるのかと思い、私の展示の日本刀を二、三振り持参して見ていただきました。鑑定法が確実に大先生の領域でした。こんなすばらしいお方にアメリカで会えるなんて、夢を見ている心地でした。私はこの師匠への弟子入りを決め、それを申し出るといろいろな条件を付けられました。第一に日本語の読み書きと話ができること、そして前科がないこと、人格が他の者より優れていて、誠実なこと、など厳しい吟味がなされました。
私の武道、武術の鍛錬が幸いして、内弟子にさせていただきました。本に出てない事柄や、たくさんの秘伝、奥伝、口伝を、伝授され今日に至っています。日本刀の管理や、売買の仕方も教わりました。この師匠と、アメリカ各州を巡回し、修理修繕のお客様を承りました。お客の中には、一人で日本刀を百振り持参した人も数人いました。勉強会と鑑定会も兼ねて相当盛り上がりました。シカゴへ参ったときは、ハリー・マック氏と出会い、彼の日本人の奥様の短刀の切り先研磨を師匠は30分で終了して喜ばれました。実は、すごいエピソードがあるのです。
1994年当時83歳だったハリー・マック氏は、全米日本刀協会の会長をやっていた人で、日本刀の知識がかなりありました。しかし、修理修繕は習ったこともなく、私の師匠に頼って数振り日本へ送っていました。師匠の親友は得能一男先生だったので、鑑定書も発行してもらい、非常に喜んでおられました。ある時、千代子奥様の短刀の切先が破損して、シカゴ近辺の研ぎ師に頼むと、研ぎ代が2000ドルと言われ迷っていました。そこへ丁度シカゴへ訪れた師匠と私が開催した鑑定会と勉強会に参加して、日本刀のことを話し合いました。奥様の短刀も持参し相談をした次第です。始めは、師匠が言ったことに度肝を抜いたそうです。短刀は30分位で修理と研磨が終了し、研磨代はただです。私が通訳を、間違ってしているのかとも言う始末でした。悪質な研ぎ師は、研ぎに一週間かかると言い、砥ぎ代は短刀が四本買える2000ドルでした。実に悪質です。下賤です。親の顔が見たい。こんな悪質な米国人研ぎ師がアメリカにかなりいます。皆様お気をつけ下さい。
前にも申し上げたように、「研ぎ師」と言う言葉は、ど素人が使う言葉です。私が指導をする日本刀協会では、研磨(けんま)と研磨師(けんまし)の言葉を使用しています。この言葉は、漢字が読める人々には説明する必要がないのです。漢字が読めれば、研磨の方が、研ぎよりも専門的な言葉と言うことがすぐに分かるのです。
1990年に米国で修理修繕の仕事を承っている日本人に出会いました。場所は刀剣ショウ。息子さんと一緒に参っていて、テーブルにはあまり日本刀が飾れていませんでした。日本から年間に三、四回訪米して、米国各地を廻り日本刀を買ったり、修理修繕の仕事を受けていると言っていました。年は67、8歳位、東京弁まるだしで話していました。江戸っ子気質があり、飾り気がなく、大工の棟梁か築地で働く魚商売の元締めのような感じでした。どのくらい日本刀のことが分かるのかと思い、私の展示の日本刀を二、三振り持参して見ていただきました。鑑定法が確実に大先生の領域でした。こんなすばらしいお方にアメリカで会えるなんて、夢を見ている心地でした。私はこの師匠への弟子入りを決め、それを申し出るといろいろな条件を付けられました。第一に日本語の読み書きと話ができること、そして前科がないこと、人格が他の者より優れていて、誠実なこと、など厳しい吟味がなされました。
私の武道、武術の鍛錬が幸いして、内弟子にさせていただきました。本に出てない事柄や、たくさんの秘伝、奥伝、口伝を、伝授され今日に至っています。日本刀の管理や、売買の仕方も教わりました。この師匠と、アメリカ各州を巡回し、修理修繕のお客様を承りました。お客の中には、一人で日本刀を百振り持参した人も数人いました。勉強会と鑑定会も兼ねて相当盛り上がりました。シカゴへ参ったときは、ハリー・マック氏と出会い、彼の日本人の奥様の短刀の切り先研磨を師匠は30分で終了して喜ばれました。実は、すごいエピソードがあるのです。
1994年当時83歳だったハリー・マック氏は、全米日本刀協会の会長をやっていた人で、日本刀の知識がかなりありました。しかし、修理修繕は習ったこともなく、私の師匠に頼って数振り日本へ送っていました。師匠の親友は得能一男先生だったので、鑑定書も発行してもらい、非常に喜んでおられました。ある時、千代子奥様の短刀の切先が破損して、シカゴ近辺の研ぎ師に頼むと、研ぎ代が2000ドルと言われ迷っていました。そこへ丁度シカゴへ訪れた師匠と私が開催した鑑定会と勉強会に参加して、日本刀のことを話し合いました。奥様の短刀も持参し相談をした次第です。始めは、師匠が言ったことに度肝を抜いたそうです。短刀は30分位で修理と研磨が終了し、研磨代はただです。私が通訳を、間違ってしているのかとも言う始末でした。悪質な研ぎ師は、研ぎに一週間かかると言い、砥ぎ代は短刀が四本買える2000ドルでした。実に悪質です。下賤です。親の顔が見たい。こんな悪質な米国人研ぎ師がアメリカにかなりいます。皆様お気をつけ下さい。