女子会
1970年代と1980年代に、米国で22年間の会社勤務と日本武術鍛錬教会での道場で、種々のアメリカ人女性に出会いました。若いアメリカ人女性達は、言うことがほとんど決まっていました。金持ちの男性と結婚したいのです。しかし現実は厳しく、彼女達の九割以上が金持ちの旦那と結婚できる資格なんかありません。実に身の程知らずです。努力をしないで、楽に生きたいアホな女達が日本にもアメリカにも多過ぎるのです。旦那さんになる人は背丈が175センチ以上で、美男子で、大学卒で、できたらスタンフォードのようなメジャー大学を卒業していることなどのこだわりを限定するのです。おまけに、高収入で家をすでに持っていてなどと抜かします。日本でもよく言われている『家付き、カー付き、ばばあ抜き』の類のことを言います。統計学に申し上げると、こだわりの程度があまりにも高過ぎるのです。実際に、このこだわりを満たす男性は30万人に1人位しかいません。
巷には、一緒にいても面白くないオンナが多過ぎます。教養も無くアホみたいな喋りです。おまけに、直ぐにしゃしゃり出る女達が多すぎるのです。ゴシップが多すぎるのです。考え方も自分本位です。自分中心です。太陽が地球の周りを廻っている感です。
会社の同僚のほとんどが、上記のだらしないオンナばかりでした。会社では40人から50人の女性が常時働いていました。そして、若い連中は「女子会」を催すのです。私はゲストスピーカーとして登場したことがありました。いろんな相談にのりましたが、金は一度も貸しませんでした。シンドイ状況のオンナを、ある程度魅力的にしてあげるのは難しかったです。しかし、救いようのある女性も少しは存在したのです。一応、私はオンナと女性の味方です。
まず彼女たちに、感違いもはなはだしい、身の程知らず、いろんな資格なし、などの社会的不合格者ということを認知させなくてはいけませんでした。でも、結構教えたらできるようになる女性もいたんです。指導者が悪い時も会ったのでしょう。親がメチャクチャにアホだったりしたこともあったみたいです。男達に騙された女がたくさんいました。二股、三股を掛けられた女性もいました。
大体酒をいつも飲んでいるオンナは騙されやすいし、男を見る目がありません。ある女性はこう言っていました。会社の帰りに、夕方バーで友達と飲んでいると、結構暗がりで酒も入っていて会った男性とデートの約束をして、昼間の明るい街中で会うと、それ以来連絡がないそうです。酒の勢いでの約束したデートは良くないです。その女性は、そんなにブスではなかったのですが、男の方も見る目が無かったのでしょうか。
私が登場する前の会社の女子会は悲惨でした。自分達の間違えは、全部男達のせいにして、同じような境遇のオンナたちの愚痴を言う友の会です。惨劇を味わった会でした。被害者の会でした。女子会は、オンナだけの時は楽しいのです。騙す男達はいないので、楽にみんなで楽しめる。こういう風に思いがちですが、実は違うのです。女ばかりで、どんぐりの背比べです。男性とよく話していないので、経験が無く、いざ男性と会話すると男達が嫌気をさして面白くないのです。男は、簡単な気配りで幸せになるのです。尋常のオンナは気配りや配慮に欠けています。
あまり女性をオンナ扱いしてけなすと、ふてくされてどうしようもなくなってしまうので、私なりに彼女等を少し持ち上げてみました。大体の女性は利口で男を見る目があるのです。ただそれをうまく生かす方法を伝授されていないのです。言い換えれば、良い先生や指導者に巡り合えなかったのです。男性を選択する側は女性です。そして、女性に信用されない男性、選択されない男性、頼られない男性は生きる資格が無いのです。男の役割は49歳で終わりです。女性は、まだ自分の子供と孫を育てる役目が残っています。女性は大事なのですよ。これを言った時に涙を流して感激した会社の同僚の女性がたくさんいました。私も、もらい泣きをしてしまいました。女性を母親と見れば、全然問題ありません。私は女性の味方です。女性が大好きです。
道場での女子会は、護身術も兼ねて料理や指圧のクラスも教えていました。クラスの名前は「くノ一の会」です。これが結構当たりました。指圧を教える時などは、旦那やボーイフレンドを持参です。男達も最初は、いやいや、ふてくされて行っていたのですが、がんばって参加するようになったのです。指圧の秘技を伝授してあげました。秘技、奥技を教える時は、私はいつも言っていました。『性感マッサージではありませんよ』と。そして、この楽しい意義のある会を基にして、男子会もつくりました。今回は「Eve」が先で「Adam」が後でした。
くノ一の会では、護身術と武器を使う術を教えていました。女性の良いところは、余計な力を入れないので武器の使い方が男達よりも上達が早いのです。言い換えれば、力が無いので余計な力が使えないのです。短刀術と手裏剣術が特に役に立ちました。武器を手に持っていないときは、ボールペンでほとんど護身用として使えたのです。そして、急所などの攻撃も教えました。テレビで「Charlie's Angels」が放映されると、自分達もなりきりで天使気取りです。チャーリーのブス天使達はちょっと解せません。女子会も1990年頃にやめました。私が、海外へ日本武術鍛錬の指導に行き始め、日本での日本刀の修理修繕の仕事で活躍し始めた頃でした。そして、最愛の妻のクララさんと結婚したのが1990年の10月でした。最優秀のくノ一の会の生徒が、私の妻になってくれたのでした。最高!
巷には、一緒にいても面白くないオンナが多過ぎます。教養も無くアホみたいな喋りです。おまけに、直ぐにしゃしゃり出る女達が多すぎるのです。ゴシップが多すぎるのです。考え方も自分本位です。自分中心です。太陽が地球の周りを廻っている感です。
会社の同僚のほとんどが、上記のだらしないオンナばかりでした。会社では40人から50人の女性が常時働いていました。そして、若い連中は「女子会」を催すのです。私はゲストスピーカーとして登場したことがありました。いろんな相談にのりましたが、金は一度も貸しませんでした。シンドイ状況のオンナを、ある程度魅力的にしてあげるのは難しかったです。しかし、救いようのある女性も少しは存在したのです。一応、私はオンナと女性の味方です。
まず彼女たちに、感違いもはなはだしい、身の程知らず、いろんな資格なし、などの社会的不合格者ということを認知させなくてはいけませんでした。でも、結構教えたらできるようになる女性もいたんです。指導者が悪い時も会ったのでしょう。親がメチャクチャにアホだったりしたこともあったみたいです。男達に騙された女がたくさんいました。二股、三股を掛けられた女性もいました。
大体酒をいつも飲んでいるオンナは騙されやすいし、男を見る目がありません。ある女性はこう言っていました。会社の帰りに、夕方バーで友達と飲んでいると、結構暗がりで酒も入っていて会った男性とデートの約束をして、昼間の明るい街中で会うと、それ以来連絡がないそうです。酒の勢いでの約束したデートは良くないです。その女性は、そんなにブスではなかったのですが、男の方も見る目が無かったのでしょうか。
私が登場する前の会社の女子会は悲惨でした。自分達の間違えは、全部男達のせいにして、同じような境遇のオンナたちの愚痴を言う友の会です。惨劇を味わった会でした。被害者の会でした。女子会は、オンナだけの時は楽しいのです。騙す男達はいないので、楽にみんなで楽しめる。こういう風に思いがちですが、実は違うのです。女ばかりで、どんぐりの背比べです。男性とよく話していないので、経験が無く、いざ男性と会話すると男達が嫌気をさして面白くないのです。男は、簡単な気配りで幸せになるのです。尋常のオンナは気配りや配慮に欠けています。
あまり女性をオンナ扱いしてけなすと、ふてくされてどうしようもなくなってしまうので、私なりに彼女等を少し持ち上げてみました。大体の女性は利口で男を見る目があるのです。ただそれをうまく生かす方法を伝授されていないのです。言い換えれば、良い先生や指導者に巡り合えなかったのです。男性を選択する側は女性です。そして、女性に信用されない男性、選択されない男性、頼られない男性は生きる資格が無いのです。男の役割は49歳で終わりです。女性は、まだ自分の子供と孫を育てる役目が残っています。女性は大事なのですよ。これを言った時に涙を流して感激した会社の同僚の女性がたくさんいました。私も、もらい泣きをしてしまいました。女性を母親と見れば、全然問題ありません。私は女性の味方です。女性が大好きです。
道場での女子会は、護身術も兼ねて料理や指圧のクラスも教えていました。クラスの名前は「くノ一の会」です。これが結構当たりました。指圧を教える時などは、旦那やボーイフレンドを持参です。男達も最初は、いやいや、ふてくされて行っていたのですが、がんばって参加するようになったのです。指圧の秘技を伝授してあげました。秘技、奥技を教える時は、私はいつも言っていました。『性感マッサージではありませんよ』と。そして、この楽しい意義のある会を基にして、男子会もつくりました。今回は「Eve」が先で「Adam」が後でした。
くノ一の会では、護身術と武器を使う術を教えていました。女性の良いところは、余計な力を入れないので武器の使い方が男達よりも上達が早いのです。言い換えれば、力が無いので余計な力が使えないのです。短刀術と手裏剣術が特に役に立ちました。武器を手に持っていないときは、ボールペンでほとんど護身用として使えたのです。そして、急所などの攻撃も教えました。テレビで「Charlie's Angels」が放映されると、自分達もなりきりで天使気取りです。チャーリーのブス天使達はちょっと解せません。女子会も1990年頃にやめました。私が、海外へ日本武術鍛錬の指導に行き始め、日本での日本刀の修理修繕の仕事で活躍し始めた頃でした。そして、最愛の妻のクララさんと結婚したのが1990年の10月でした。最優秀のくノ一の会の生徒が、私の妻になってくれたのでした。最高!