十文字槍が縁で剣友になった筒井さん
筒井さんに出会ったのは1985年の夏でした。サンタクルーズで行われていたフェスティバルで、私が日本刀の展示をしているところを筒井さんがお友達と訪れたのです。
筒井さんが「家に加藤清正の十文字槍がある」と豪語したので、天邪鬼である私は言ってやりました。「すごい。りっぱでどでかい大嘘ですね。良くそんなことを知ったかぶりで言えますね。人間を止めてしまえ」とも言ってやりました。初めて会ったおっさんからそんなことを言われて、筒井さんは度肝を抜いてたじたじでした。
筒井さんが「家に加藤清正の十文字槍がある」と豪語したので、天邪鬼である私は言ってやりました。「すごい。りっぱでどでかい大嘘ですね。良くそんなことを知ったかぶりで言えますね。人間を止めてしまえ」とも言ってやりました。初めて会ったおっさんからそんなことを言われて、筒井さんは度肝を抜いてたじたじでした。
そして、博学の私は、その場でまじめに日本刀と槍の講義をさせていただきました。「貴殿の言われた戦国大名の加藤清正の愛槍は、日本の東京に存在し、米国には模写のようなものはあると思いますが、全く同じ体配、姿の槍はおそらく存在しないでしょう。あの槍は、厳密に言えば、威風の片鎌枝槍で、片方の横に突き出している部分の右枝が反対側の左枝よりも短いのです。両方の枝は上向きです。私は、ある機会が合って加藤清正が天正時代に所持していた愛槍を手にとって精査したことがあるのですよ」。ここで筒井さんびっくり。「本の写真でしか拝見することができない加藤清正の愛槍は、豊臣秀吉の命令で朝鮮の役(1592年)の最中に大きな虎と戦った時、片側が食いちぎられたというのは虚言です。刃紋を見ると、ちゃんと形通りに焼き刃があります。折れて直されたものでは絶対にありません。あの槍の長い茎は、加藤清正の娘の輿入れの時の事柄が朱銘で書かれています。やりと書く漢字は三つあります。知っていますか?」そして、私の日本刀と槍の講義は続き筒井さんのびっくりはまたまた続行。日本刀と槍の話に花が咲いたのです。
筒井さんとは今度近い将来にその十文字槍を見せて下さいと約束し、電話番号を交換しました。しばらくして、筒井さんの住むサンフランシスコのヘイトアシュベリー近くにある三階建ての豪邸にお邪魔し、例の十文字槍(加藤清正の槍ではない)を拝見いたしました。出場所を早速聞いてみました。ある日系人が、太平洋戦争が始まり収容所に行かなくてはならなかった時に、穂先と槍鞘の部分だけを長い柄からはずして自分の荷物と一緒に隠し持っていたそうです。そして、数年後に収容所より再びサンフランシスコに十文字槍と一緒に戻って来たそうです。収容所に入る前に、槍の長い柄の部分は捨ててしまったそうで、筒井さんが日系人より十文字槍を買い上げた1970年代の中頃には、すでに柄の部分はなかったそうです。柄の最下部には石突きと呼ばれる金具がついていたはずです。その鉄で出来ている石突きは、やはり100年以上経ている骨董品で、それだけでも300ドルぐらいで取引されています。筒井さんが買った十文字槍の値段は当時で200ドルでした。日系人は打ちひしがれて日本へ帰ってしまったそうです。
十文字槍を精査した後、研磨師兼鑑定士の星野の鑑定が始まりました。「錆が全体を覆っていますが、深錆ではないですが研磨したほうがこの古い槍のためには良いです。一応、400年は経ている槍なので本当の意味での骨董品です。大事にしてあげて下さい」。筒井さんは「価値の値段はどのくらいですか」と聞いてきたので申し上げました。400ドルから500ドルの間と答えました。槍は、刀の二割か三割位の値段が相場です。尋常の槍の穂長は10センチから20センチぐらいで、十文字槍は、工作する時は他の槍を工作するよりも難しいので値段はやや高めなのです。一番高い槍は大身の槍です。日本政府で重要文化財、重要美術品に認定された大身の槍が日本にたくさん存在します。
1993年には筒井さんの十文字槍と、私の持っていた現代刀1944年製を交換させていただきました。あの頃で、私の現代刀は1500ドルくらいの値打ちはありました。筒井さんは、私が安物の現代刀を十文字槍と交換したと思っていたらしく、私の師匠が日本から参った時に鑑定してもらい、この現代刀は2000ドル近くするものですと言われ、やっと私を信用してくれました。それ以来、筒井さんが買い上げる脇差、短刀などを一緒に吟味させていただきました。今では、筒井さんはサンフランシスコ近辺に在住する日本人の日本刀剣友です。
今現在、筒井さんと時たま会って話をしたり彼の経営する日本食レストランに家族、桑港剣術道場の生徒とも参っています。最近、筒井さんの息子さんがミシガンから来た白人女性と結婚し、孫も生まれたそうです。筒井さんのレストランに行くたびに数振りの日本刀を持参し見せています。従業員も客もびっくりです。「飲食店、レストランで日本刀を出して見せたら日本では警察沙汰ですね。掴まるかもしれませんね」と大笑いしています。
余談ですが、筒井さんは大真面目に言いました。「私は多くの金持ち、事業に成功してすごい豪邸に住み、高級車を乗り回している人びとを知っていますが、彼らに嫉妬やジェラシーを持ったことは一度もありません。しかし、すごく良い女性と付き合っている男を見るとすごく嫉妬をするんです」。筒井さんは、私の最愛の妻を見ていつも言っています。良く言ってくださいましたと私は思っています。全く同じことを言う日本人が他に三人程います。機会があればご紹介いたします。
筒井さんとは今度近い将来にその十文字槍を見せて下さいと約束し、電話番号を交換しました。しばらくして、筒井さんの住むサンフランシスコのヘイトアシュベリー近くにある三階建ての豪邸にお邪魔し、例の十文字槍(加藤清正の槍ではない)を拝見いたしました。出場所を早速聞いてみました。ある日系人が、太平洋戦争が始まり収容所に行かなくてはならなかった時に、穂先と槍鞘の部分だけを長い柄からはずして自分の荷物と一緒に隠し持っていたそうです。そして、数年後に収容所より再びサンフランシスコに十文字槍と一緒に戻って来たそうです。収容所に入る前に、槍の長い柄の部分は捨ててしまったそうで、筒井さんが日系人より十文字槍を買い上げた1970年代の中頃には、すでに柄の部分はなかったそうです。柄の最下部には石突きと呼ばれる金具がついていたはずです。その鉄で出来ている石突きは、やはり100年以上経ている骨董品で、それだけでも300ドルぐらいで取引されています。筒井さんが買った十文字槍の値段は当時で200ドルでした。日系人は打ちひしがれて日本へ帰ってしまったそうです。
十文字槍を精査した後、研磨師兼鑑定士の星野の鑑定が始まりました。「錆が全体を覆っていますが、深錆ではないですが研磨したほうがこの古い槍のためには良いです。一応、400年は経ている槍なので本当の意味での骨董品です。大事にしてあげて下さい」。筒井さんは「価値の値段はどのくらいですか」と聞いてきたので申し上げました。400ドルから500ドルの間と答えました。槍は、刀の二割か三割位の値段が相場です。尋常の槍の穂長は10センチから20センチぐらいで、十文字槍は、工作する時は他の槍を工作するよりも難しいので値段はやや高めなのです。一番高い槍は大身の槍です。日本政府で重要文化財、重要美術品に認定された大身の槍が日本にたくさん存在します。
1993年には筒井さんの十文字槍と、私の持っていた現代刀1944年製を交換させていただきました。あの頃で、私の現代刀は1500ドルくらいの値打ちはありました。筒井さんは、私が安物の現代刀を十文字槍と交換したと思っていたらしく、私の師匠が日本から参った時に鑑定してもらい、この現代刀は2000ドル近くするものですと言われ、やっと私を信用してくれました。それ以来、筒井さんが買い上げる脇差、短刀などを一緒に吟味させていただきました。今では、筒井さんはサンフランシスコ近辺に在住する日本人の日本刀剣友です。
今現在、筒井さんと時たま会って話をしたり彼の経営する日本食レストランに家族、桑港剣術道場の生徒とも参っています。最近、筒井さんの息子さんがミシガンから来た白人女性と結婚し、孫も生まれたそうです。筒井さんのレストランに行くたびに数振りの日本刀を持参し見せています。従業員も客もびっくりです。「飲食店、レストランで日本刀を出して見せたら日本では警察沙汰ですね。掴まるかもしれませんね」と大笑いしています。
余談ですが、筒井さんは大真面目に言いました。「私は多くの金持ち、事業に成功してすごい豪邸に住み、高級車を乗り回している人びとを知っていますが、彼らに嫉妬やジェラシーを持ったことは一度もありません。しかし、すごく良い女性と付き合っている男を見るとすごく嫉妬をするんです」。筒井さんは、私の最愛の妻を見ていつも言っています。良く言ってくださいましたと私は思っています。全く同じことを言う日本人が他に三人程います。機会があればご紹介いたします。