備前長船祐定の刀
2014年の6月と7月の2ヶ月間に3振りの日本刀を研磨致しました。 全て備前長船祐定の製作した刀でした。厳密に申しますと、戦国時代(1467-1591年)に製作された『打ち刀(うちがたな)』です。
備前の国は今の岡山県に所在します。長船(おさふね)は刀工集団の名前です。祐定(すけさだ)は刀工の名前です。尋常の打ち刀の刃渡りは2尺(60センチ)前後です。反りは、京反りか先反りです。実戦で非常に使い易い刀です。少し長めな柄を装備すると、断斬術にもってこいです。
研磨させていただいた三口(さんくち)の日本刀は、全ての茎(なかご)に銘が有り正真です。二口は50万円位の価値ですが、一口は買えば200万円はするでしょう。アメリカ人の持ち主です。その刀は6月の末に、カウパレスのガンショーで私が日本刀の展示を催していた時に持ち込まれました。鑑定と吟味をした後に、修理修繕の見積もり書も作成致しました。持ち主のドナルドさんより即座に修理修繕の仕事を依頼され、7月の終わりに三つの修理修繕が終わりました。研磨、鎺金の工作、そして白鞘の製作です。修理代金は1400ドルでした。別の祐定の二口の修理修繕からも同じ代金を頂ました。
この200万円もする祐定の茎には表銘と裏銘があり、裏銘は永正六年(1509年)とありました。軍装が附着していて、柄の兜金にはいぶし銀の家紋が入っていました。大日本帝国陸軍の大尉さんの持ち物です。これと言ったひどい疵はなく健全に見えましたが、刀身の二、三箇所に、少しの小さな錆が有りました。受け取った後、家に持ち帰り写真を撮りました。修理修繕の前と後の写真は、修理修繕の依頼者様用に、サービスの一環として何時も私がはりきって撮っています。
カメラはNikonです。まったく同じのカメラが3台あります。御刀様の持ち主に、写真の入ったPhoto CDを修理修繕後に差し上げています。整形前と整形後の比較写真のような物です。
打ち刀の下地研磨は問題なく進み、鎺金のある少し上部近くに小さな鍛え割れを見いだしました。過去に日本で研がれた形跡があり、日本人の研磨師さんの素晴らしい腕前がうかがえました。研磨技術が、相当に達者な人が研いだ戦国時代の祐定の作です。実に嬉しくなりました。鎬筋がバッチリ決まっていて、真っ直ぐでした。切り先の肉置きの均整が実に見事でした。後から手直しさせていただき、光栄です。打ち刀の持ち主のドナルドさんも、この祐定の打ち刀を『大事にしてくれる』と約束してくれました。将来は、息子殿に差し上げるそうです。実にうれしい美談に接しさせていただきました。日本刀を愛す人々に『幸あれ』と願う今日この頃の私です。
過去40年間、米国で相当数の祐定の刀、脇差しや短刀を拝見いたしました。中には、粗製品の数打ち物や大量生産された物もありました。一番素晴らしい物は刀でした。刃長が二尺七寸五分(81.5センチ)あり健全な物でした。裏銘は、天正三年(1575年)八月日と有りこれも正真物でした。
1981年の夏に拝見した祐定の打ち刀は長い銘がありました。表銘は備前国住彦兵衛尉祐定で、裏銘は文亀年間(1501-1503年)の打ち刀でした。その夏、しばらく前に他界された旦那様の持ち物で、日本人の奥様は桑港刀剣協会の会員に『売っていただきたい』と申されました。会員の日系人がすぐに買い入れました。
我最愛の奥様のクレアさんも、祐定の短刀を三振り持っています。 私は、祐定の大刀で試し切りを行っています。これから近い将来にも、備前国住人長船祐定の作の日本刀に遭遇するでしょう。研磨する機会もあるでしょう。研磨師星野はあと50年くらいは、桑港(サンフランシスコ)にて、日本刀修理修繕でがんばります。応援して下さい。
備前の国は今の岡山県に所在します。長船(おさふね)は刀工集団の名前です。祐定(すけさだ)は刀工の名前です。尋常の打ち刀の刃渡りは2尺(60センチ)前後です。反りは、京反りか先反りです。実戦で非常に使い易い刀です。少し長めな柄を装備すると、断斬術にもってこいです。
研磨させていただいた三口(さんくち)の日本刀は、全ての茎(なかご)に銘が有り正真です。二口は50万円位の価値ですが、一口は買えば200万円はするでしょう。アメリカ人の持ち主です。その刀は6月の末に、カウパレスのガンショーで私が日本刀の展示を催していた時に持ち込まれました。鑑定と吟味をした後に、修理修繕の見積もり書も作成致しました。持ち主のドナルドさんより即座に修理修繕の仕事を依頼され、7月の終わりに三つの修理修繕が終わりました。研磨、鎺金の工作、そして白鞘の製作です。修理代金は1400ドルでした。別の祐定の二口の修理修繕からも同じ代金を頂ました。
この200万円もする祐定の茎には表銘と裏銘があり、裏銘は永正六年(1509年)とありました。軍装が附着していて、柄の兜金にはいぶし銀の家紋が入っていました。大日本帝国陸軍の大尉さんの持ち物です。これと言ったひどい疵はなく健全に見えましたが、刀身の二、三箇所に、少しの小さな錆が有りました。受け取った後、家に持ち帰り写真を撮りました。修理修繕の前と後の写真は、修理修繕の依頼者様用に、サービスの一環として何時も私がはりきって撮っています。
カメラはNikonです。まったく同じのカメラが3台あります。御刀様の持ち主に、写真の入ったPhoto CDを修理修繕後に差し上げています。整形前と整形後の比較写真のような物です。
打ち刀の下地研磨は問題なく進み、鎺金のある少し上部近くに小さな鍛え割れを見いだしました。過去に日本で研がれた形跡があり、日本人の研磨師さんの素晴らしい腕前がうかがえました。研磨技術が、相当に達者な人が研いだ戦国時代の祐定の作です。実に嬉しくなりました。鎬筋がバッチリ決まっていて、真っ直ぐでした。切り先の肉置きの均整が実に見事でした。後から手直しさせていただき、光栄です。打ち刀の持ち主のドナルドさんも、この祐定の打ち刀を『大事にしてくれる』と約束してくれました。将来は、息子殿に差し上げるそうです。実にうれしい美談に接しさせていただきました。日本刀を愛す人々に『幸あれ』と願う今日この頃の私です。
過去40年間、米国で相当数の祐定の刀、脇差しや短刀を拝見いたしました。中には、粗製品の数打ち物や大量生産された物もありました。一番素晴らしい物は刀でした。刃長が二尺七寸五分(81.5センチ)あり健全な物でした。裏銘は、天正三年(1575年)八月日と有りこれも正真物でした。
1981年の夏に拝見した祐定の打ち刀は長い銘がありました。表銘は備前国住彦兵衛尉祐定で、裏銘は文亀年間(1501-1503年)の打ち刀でした。その夏、しばらく前に他界された旦那様の持ち物で、日本人の奥様は桑港刀剣協会の会員に『売っていただきたい』と申されました。会員の日系人がすぐに買い入れました。
我最愛の奥様のクレアさんも、祐定の短刀を三振り持っています。 私は、祐定の大刀で試し切りを行っています。これから近い将来にも、備前国住人長船祐定の作の日本刀に遭遇するでしょう。研磨する機会もあるでしょう。研磨師星野はあと50年くらいは、桑港(サンフランシスコ)にて、日本刀修理修繕でがんばります。応援して下さい。