日本人の成功者:田中さん、高橋さん
1971年の夏に渡米して以来、巷でお会いした本当の意味での日本人の先輩達の成功者は実に少ないです。でも、私は自信を持って、二人の名前を挙げられます。桑港太鼓道場の田中先生と拳銃屋の高橋さんです。二人とも、私よりも少し前に渡米しておられます。1960年代の中頃です。とても良い、頼もしい先輩達です。
サンフランシスコ日本町で、ランチを三人で一緒に食べたことも何回かあります。いつも、中華料理店の山王レストランでした。高橋さんは、田中先生を「精さん」と呼んでいます。田中先生は、高橋さんを「鉄砲タカハシ」と呼んでいます。二人で一緒に、プエルトリコへ遊びに行った時のおもろい話をしてくれました。高橋さんはスペイン語が上手だそうです。スペイン人の女性が、流暢にスペイン語を話す高橋さんにしびれているそうです。スペイン語は、ナンパ目的で習ったみたいですが、日常にも活用しています。高橋さんが経営している大きなアパートで、スペイン人のおっさん達を雇って、修理やペイントの仕事をさせています。三人のアミーゴと一緒に山王レストランで昼飯を食べている高橋さんを数回見ています。高橋さんと二人だけで何回か、世間話をしながら手打ちのラーメンを山王レストランでいただきました。話は、お決まりのオンナと拳銃です。最近、アラスカで熊の射撃ツアーを日本人相手に行っているそうです。
高橋さんは、Mission StreetとValencia Streetの交差店にガンショップを持っていて、修理修繕も行っています。ガンショップの名前は『ハイブリッジ』です。タイヤの会社のブリジストンみたいですね。昔は、サンフランシスコにガンショップが4軒ありました。だんだん消失していき、高橋さんの店だけとなりました。ガンに対する規制がカリフォルニア州で厳しくなったからです。私も数回、拳銃をそこで修理してもらったことがありました。高橋さんと、カウパレスのガンショウで何回か会ったこともありました。私と同じ様にテーブルを出して、高橋さんはライフル、ショットガン、拳銃を売っていました。あの人は、ちょっと人のやらないショットガンの売買をして財を築いたのです。その商法は、今回は秘密にしておきます。高橋さんは、2000年に自伝を本にまとめて書きました。お勧めです。ちょっと下ネタ話も入っていて、高橋さんに人間味のあることが実に伝わって来る本です。
田中先生は、とてもおおらかな方で、イタリアで太鼓の演奏をしたり、サンフランシスコ近辺やカリフォルニア州の各地で講演を行っています。田中先生の影響で、各地に太鼓道場ができました。毎年の四月の桜祭りのグランドパレードにも参加なされています。ブッシュ大統領より、日本で言う勲章をいただいたのも日本人の中で田中先生だけです。サンフランシスコに住む日本人の代表のような人です。1990年代に、ショーンコネリーと一緒にハリウッド映画にも出ていました。田中先生は超有名人です。
1990年頃、日本町に田中先生の太鼓道場のお店が開かれました。太鼓関連の品物、DVD、地下足袋も売っています。私の生徒と愛妻のクララさんが、そのお店で地下足袋を買いました。日系人の奥さんもそのお店にいます。息子の竜馬君もお店にいます。私は、竜馬君を幼い頃より知っています。もう、今は30歳過ぎたおっさんです。
1990年の中頃、田中先生と一緒に日本総領事館で日本刀を展示したことがありました。すごい豪邸で、30振りの日本刀を展示させていただきました。総領事のお名前も田中さんでした。この集まりには、地元の有名人がかなりの数で来客していました。私の個人弁護士のケビン・サリバン氏も参加してくれました。シャンペンが出て、タキシードを着たサリバン氏がかっこよく見えました。なんとなくハリウッドにいる映画スターのようでした。桑港日本刀協会のスティーブさんも、日本刀展示を手伝ってくれました。田中総領事は、私が持参した大薙刀が気に入ったようで、手に持って鑑賞しておられました。私が収集した日本刀へのお褒めの言葉がありました。実に楽しい時間を過ごさせていただきました。私の日本刀も喜んでいるはずです。
田中先生は、総領事館の日本刀の展示会場以外にもお声をかけてくれました。日本町のホテルで、田中先生がブッシュ大統領より勲章を受けた時のお祝いの席にも、日本刀を展示させていただきました。2000年の中頃です。私達は、羽織とはかまを着けて参加させていただきました。やはり、大事なイベントの時は骨董品の本物の日本刀が日本の伝統文化の雰囲気を醸し出してくれます。私の収集した日本刀が展示されるのは、実に良いことです。栄誉なことでもあります。
田中先生とは、サンフランシスコ日本町でよくお会い致します。私は、自分の日本刀修理修繕会社のVanを運転して、Post Streetに駐車して、田中先生とVanの中で座って会合したりします。何時も「日本刀の掘り出し物を見つけてくれ」とせがむ田中先生です。過去に、かなり優作の五振りを買っていただきました。田中先生の知人達が会社のVanの近くを通りがかると、必ず紹介してくれます。その時は、戦国時代や江戸時代のような類のことを、ちょっと言います。私を紹介する時は「柳生但馬の守の末裔の星野治仲です」とか、「徳川家康に仕えた伊賀忍者上忍の服部半蔵の末裔の星野治仲です」なんて言っています。それも、真顔で言っちゃうんです。私も笑いそうになりますが、そうさせていただいています。田中先生は、私達が桜祭りのグランドパレードで行進をしていると必ず、Postと、Gough Streetとの交差したところに位置するビルディングから、大きな声で叫んできます。桑港剣術道場の生徒等も、その辺にいる田中先生を見て笑っています。
これからも、田中先生と高橋さんにサンフランシスコの街角で会ったときはお声をかけていただきたいです。
サンフランシスコ日本町で、ランチを三人で一緒に食べたことも何回かあります。いつも、中華料理店の山王レストランでした。高橋さんは、田中先生を「精さん」と呼んでいます。田中先生は、高橋さんを「鉄砲タカハシ」と呼んでいます。二人で一緒に、プエルトリコへ遊びに行った時のおもろい話をしてくれました。高橋さんはスペイン語が上手だそうです。スペイン人の女性が、流暢にスペイン語を話す高橋さんにしびれているそうです。スペイン語は、ナンパ目的で習ったみたいですが、日常にも活用しています。高橋さんが経営している大きなアパートで、スペイン人のおっさん達を雇って、修理やペイントの仕事をさせています。三人のアミーゴと一緒に山王レストランで昼飯を食べている高橋さんを数回見ています。高橋さんと二人だけで何回か、世間話をしながら手打ちのラーメンを山王レストランでいただきました。話は、お決まりのオンナと拳銃です。最近、アラスカで熊の射撃ツアーを日本人相手に行っているそうです。
高橋さんは、Mission StreetとValencia Streetの交差店にガンショップを持っていて、修理修繕も行っています。ガンショップの名前は『ハイブリッジ』です。タイヤの会社のブリジストンみたいですね。昔は、サンフランシスコにガンショップが4軒ありました。だんだん消失していき、高橋さんの店だけとなりました。ガンに対する規制がカリフォルニア州で厳しくなったからです。私も数回、拳銃をそこで修理してもらったことがありました。高橋さんと、カウパレスのガンショウで何回か会ったこともありました。私と同じ様にテーブルを出して、高橋さんはライフル、ショットガン、拳銃を売っていました。あの人は、ちょっと人のやらないショットガンの売買をして財を築いたのです。その商法は、今回は秘密にしておきます。高橋さんは、2000年に自伝を本にまとめて書きました。お勧めです。ちょっと下ネタ話も入っていて、高橋さんに人間味のあることが実に伝わって来る本です。
田中先生は、とてもおおらかな方で、イタリアで太鼓の演奏をしたり、サンフランシスコ近辺やカリフォルニア州の各地で講演を行っています。田中先生の影響で、各地に太鼓道場ができました。毎年の四月の桜祭りのグランドパレードにも参加なされています。ブッシュ大統領より、日本で言う勲章をいただいたのも日本人の中で田中先生だけです。サンフランシスコに住む日本人の代表のような人です。1990年代に、ショーンコネリーと一緒にハリウッド映画にも出ていました。田中先生は超有名人です。
1990年頃、日本町に田中先生の太鼓道場のお店が開かれました。太鼓関連の品物、DVD、地下足袋も売っています。私の生徒と愛妻のクララさんが、そのお店で地下足袋を買いました。日系人の奥さんもそのお店にいます。息子の竜馬君もお店にいます。私は、竜馬君を幼い頃より知っています。もう、今は30歳過ぎたおっさんです。
1990年の中頃、田中先生と一緒に日本総領事館で日本刀を展示したことがありました。すごい豪邸で、30振りの日本刀を展示させていただきました。総領事のお名前も田中さんでした。この集まりには、地元の有名人がかなりの数で来客していました。私の個人弁護士のケビン・サリバン氏も参加してくれました。シャンペンが出て、タキシードを着たサリバン氏がかっこよく見えました。なんとなくハリウッドにいる映画スターのようでした。桑港日本刀協会のスティーブさんも、日本刀展示を手伝ってくれました。田中総領事は、私が持参した大薙刀が気に入ったようで、手に持って鑑賞しておられました。私が収集した日本刀へのお褒めの言葉がありました。実に楽しい時間を過ごさせていただきました。私の日本刀も喜んでいるはずです。
田中先生は、総領事館の日本刀の展示会場以外にもお声をかけてくれました。日本町のホテルで、田中先生がブッシュ大統領より勲章を受けた時のお祝いの席にも、日本刀を展示させていただきました。2000年の中頃です。私達は、羽織とはかまを着けて参加させていただきました。やはり、大事なイベントの時は骨董品の本物の日本刀が日本の伝統文化の雰囲気を醸し出してくれます。私の収集した日本刀が展示されるのは、実に良いことです。栄誉なことでもあります。
田中先生とは、サンフランシスコ日本町でよくお会い致します。私は、自分の日本刀修理修繕会社のVanを運転して、Post Streetに駐車して、田中先生とVanの中で座って会合したりします。何時も「日本刀の掘り出し物を見つけてくれ」とせがむ田中先生です。過去に、かなり優作の五振りを買っていただきました。田中先生の知人達が会社のVanの近くを通りがかると、必ず紹介してくれます。その時は、戦国時代や江戸時代のような類のことを、ちょっと言います。私を紹介する時は「柳生但馬の守の末裔の星野治仲です」とか、「徳川家康に仕えた伊賀忍者上忍の服部半蔵の末裔の星野治仲です」なんて言っています。それも、真顔で言っちゃうんです。私も笑いそうになりますが、そうさせていただいています。田中先生は、私達が桜祭りのグランドパレードで行進をしていると必ず、Postと、Gough Streetとの交差したところに位置するビルディングから、大きな声で叫んできます。桑港剣術道場の生徒等も、その辺にいる田中先生を見て笑っています。
これからも、田中先生と高橋さんにサンフランシスコの街角で会ったときはお声をかけていただきたいです。