桑港日本刀協会
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減ってしまった“日本人”

最近、日本人メチャクチャ丸出しの人がぐっと減りました。私が渡米した頃は、骨董屋の近江さん、刀屋の石田さん、戦争花嫁のタエコさん、銀行員のダイジョウさん、旅行会社のジンさんなどがおりました。今は皆様全員故人です。1980年までは良かったのですが、1990年の中頃から2000年になったら、もう険し過ぎて私は耐えられません。実にいけません。いろいろな面で、日本人と日本文化が変わってしまいました。
 
日本食のレストランに入り、暖簾の隙間から裏のちゅう房を覗くと、日本人のシェフが一人いて残りの仕事人が非日本人です。日本人が第一線から外されているのです。追い出された感が漂っています。私が創立した桑港日本刀剣協会の会員達の中で日本人の数はたった二人です。日系人の数も三人です。外人さんの方が日本刀をより愛してくれています。

私の好きな、サンフランシスコ日本人町が非日本町になりました。非日本文字が、所狭しといたるところに書いてあります。なんか「日本人出て行け!」と訴えているようです。もう、日本町の名前を変えないとヤバイのではないでしょうか? 合わないのでしょうか? 毎日、打ちひしがれる私です。

最近は、日本人が日本人らしくなくなったのです。日本のものは、日本人が第一線に立って、他の人間を引っ張るか、指導する立場にあってほしいと願う私です。

東京オリンピックで日本人の柔道はヨーロッパ人の柔道に負けました。残念なことです。最近は、相撲も外人さんに横綱を奪われています。日本人が追い出されている感があります。日本町の近くに住んでいる人も非日本人です。日本語はもう叫ばれていません。なんか、非日本語がウハウハ、ウホウホと聞こえます。悲しいです。

ある会社の社長さんは、面白いことを考えました。日本町にある二つのホテルに、江戸時代に存在した籠屋を設置してタクシーの代わりに、ホテルからレストラン、映画館に送迎サービスを始めると言うのです。これも一時しのぎです。

私は、サンフランシスコに1971年の8月以来住んでいます。日本町を日本文化を継承する場所として、日本人の皆さんに認識してもらいたいです。
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