2004年2月10日(火)
刀のはなし14
米国で見つけた日本刀
過去40年の間に 米国で買い入れた日本刀はかなりの数になります。日本にも存在しない珍刀奇刀、掘り出し物の部類に入る日本刀も桑港日本刀博物館に展示されています。現在の日本では、掘り出し物の日本刀は皆無です。新規に登録される日本刀は里帰り品と呼ばれ、持ち主は非日本人で修理修繕、研磨の完了した後には、外国人の持ち主に戻っていきます。
米国にはかなりの数の日本刀が巷に存在いたしますが、登録制度がないので実在する日本刀の数は誰にも分かりません。過去40年の米国在住中に拝見した刀、買い入れた刀は数えきれません。私見ですが珍刀、奇刀、優秀刀、掘り出し物と認めたものを挙げてみます。
①刀
長さ62センチ表平造り、裏鎬造り、造り込みが 表裏が異なり 忠の形より備前長船祐定か勝光に鑑定。年代は室町後期1580年代ごろ。
②脇差
表平造り、裏切刃造り、刀身に銘あり(海部住氏次)。これは、瀬戸内海で暴れた海賊の使用する実践用の刀として製作されました。年代は、永正(1504〜21年 ) 頃です。米国在住中六振拝見しました。その中の一振りです。
③短刀
両刃造り。拵は家紋入りの合口短刀拵で、美濃の刀鍛冶、兼運(かねみち)によって製作されました。年代は、天正(1573〜92年)です。
④三尺の槍
平三角造り。購入時は錆身で研磨師が三回深く手を切りながら研磨が完了。外装は私が三鈷杵(さんこしょ)を模写しました。三鈷杵は密教の法具です。槍の塩首(けらくび)の辺に、珍しいキリシタンの十字架の印が象嵌されています。製作年代は、安土桃山時代(1573〜1623年)です。
⑤長寸の薙刀 忠の長さが刀身よりも長いです。全長164センチ。素晴らしい蒔絵が鞘と柄に描かれています。発見時は、1994年の桜祭りのころでした。日本へ国際電話して、私の師匠の刀匠に、豪刀の薙刀の話をしましたが、「そんな素晴らしいものはこの世にない」と言われ、独断で即購入。今では桑港日本刀博物館の看板となっています。鵜の首造り、年代は幕末ころです。
米国で見つけた日本刀
過去40年の間に 米国で買い入れた日本刀はかなりの数になります。日本にも存在しない珍刀奇刀、掘り出し物の部類に入る日本刀も桑港日本刀博物館に展示されています。現在の日本では、掘り出し物の日本刀は皆無です。新規に登録される日本刀は里帰り品と呼ばれ、持ち主は非日本人で修理修繕、研磨の完了した後には、外国人の持ち主に戻っていきます。
米国にはかなりの数の日本刀が巷に存在いたしますが、登録制度がないので実在する日本刀の数は誰にも分かりません。過去40年の米国在住中に拝見した刀、買い入れた刀は数えきれません。私見ですが珍刀、奇刀、優秀刀、掘り出し物と認めたものを挙げてみます。
①刀
長さ62センチ表平造り、裏鎬造り、造り込みが 表裏が異なり 忠の形より備前長船祐定か勝光に鑑定。年代は室町後期1580年代ごろ。
②脇差
表平造り、裏切刃造り、刀身に銘あり(海部住氏次)。これは、瀬戸内海で暴れた海賊の使用する実践用の刀として製作されました。年代は、永正(1504〜21年 ) 頃です。米国在住中六振拝見しました。その中の一振りです。
③短刀
両刃造り。拵は家紋入りの合口短刀拵で、美濃の刀鍛冶、兼運(かねみち)によって製作されました。年代は、天正(1573〜92年)です。
④三尺の槍
平三角造り。購入時は錆身で研磨師が三回深く手を切りながら研磨が完了。外装は私が三鈷杵(さんこしょ)を模写しました。三鈷杵は密教の法具です。槍の塩首(けらくび)の辺に、珍しいキリシタンの十字架の印が象嵌されています。製作年代は、安土桃山時代(1573〜1623年)です。
⑤長寸の薙刀 忠の長さが刀身よりも長いです。全長164センチ。素晴らしい蒔絵が鞘と柄に描かれています。発見時は、1994年の桜祭りのころでした。日本へ国際電話して、私の師匠の刀匠に、豪刀の薙刀の話をしましたが、「そんな素晴らしいものはこの世にない」と言われ、独断で即購入。今では桑港日本刀博物館の看板となっています。鵜の首造り、年代は幕末ころです。