ポールさん
ポールさんは1990年に桑港剣術道場に入門し、剣術、試し切り、日本史、日本刀の修理修繕に相当の時間を費やしています。私が英国に剣術指導に行った時、一度だけお供していただきました。
入門時はフィリピン系アメリカ人の奥さんがいて、1990年代中頃は、娘さん二人を夫婦で一緒に育てていました。ポールさんはその頃になると、かなりの腕前になっていました。そして、ポールさんが住んでいるオークランドで指導者になり、先生として十数人の生徒を抱えるようになりました。
その内の生徒五人が、サンフランシスコの本部剣術道場に通いだし、彼らの買った日本刀もかなりの数になりました。アフリカ系アメリカ人は、あまり日本刀に興味を示さないのが常ですが、この変わった頼もしい連中は毎月と毎週の勉強会にもちゃんと顔を出し、まじめな態度で日本語、日本史、日本刀の買い入れに相当の時間とお金を費やしています。鎌倉時代の備前鍛治作の太刀を買った人もいました。他の生徒は、私が南北朝時代の野太刀も探してやりました。江戸時代の新刀、新新刀を持っている生徒もかなりいます。E-Bayで日本刀を見つけると必ず私に相談です。カウパレスのガンショウでもかなりの掘り出し物を見つけてやりました。
1996年に英国に遠征した時は、二週間近くポールさんと一緒に時を過ごし深い絆ができました。彼と彼の生徒は私にニックネームをくれました。『名誉黒人』だって。彼らとは一緒に飯を食ったり、剣術、試し切りの練習で汗を流したのです。面白い話や、ブッチャけた話もたくさんしました。こんなオモろい連中がアメリカにはまだいるんですね。
ポールさんと英国に行く一ヶ月と少し前のことでした。私はポールさんにちょっとプライベートの話があると言って、近くのレストランに招待し話を切り出しました。「パスポート持っているかい? 今から六週間後に英国に指導の行くのです。一緒にお供を頼みたい」と言うとびっくりして、すごくまじめな顔をしたのを今でもよく覚えています。旅費や滞在費などは、全部向こうで出費してくれますので体一つで行けばよろしいと伝えました。英国では、私の右腕として毎日の指導に励んでくれました。
帰米して二週間後、カウパレスのガンショウがあり、ちょっと珍しい四角のデザインの鍔が見つかりました。私の秘蔵で、勝ち虫のデザインの一作物の拵え金具付きの大脇差に、例の四角の鍔をつけかえて一緒にポールさんに贈呈致しました。あまりの感激に彼は涙ぐんでしまいました。奥さんは号泣です。ポールさんは、英国旅行中ずっと私を助けてくれたので、ささやかなお礼として差し上げたのです。ポールさんはトンボと勝ち虫が同じものであることを知っています。勝ち虫付きの拵え金具の大脇差を差し上げた時、一緒に鑑定書も渡しました。そうです、世界一の鑑定家の得能一男先生が発行した鑑定書付きの400年経っている骨董品の日本刀です。ポールさんは号泣してしまい、便所に隠れました。日本人も知らない史実を彼に教えてやりました。ポールさんは戦国時代に黒人の侍がいたのをご存知です。織田信長が、アフリカのカメルーン生まれの黒人に剣術の修行をさせて、二本差しを与え、腰にそれらを差させて、弥助と命名し侍として扱われたことも知っています。
ポールさんはそれからも、日本町の桜祭りで試し切りと剣術の実演デモに参加してくれています。サンフランシスコ市役所から行進してくれています。侍風の闊歩です。みんな大笑いです。
入門時はフィリピン系アメリカ人の奥さんがいて、1990年代中頃は、娘さん二人を夫婦で一緒に育てていました。ポールさんはその頃になると、かなりの腕前になっていました。そして、ポールさんが住んでいるオークランドで指導者になり、先生として十数人の生徒を抱えるようになりました。
その内の生徒五人が、サンフランシスコの本部剣術道場に通いだし、彼らの買った日本刀もかなりの数になりました。アフリカ系アメリカ人は、あまり日本刀に興味を示さないのが常ですが、この変わった頼もしい連中は毎月と毎週の勉強会にもちゃんと顔を出し、まじめな態度で日本語、日本史、日本刀の買い入れに相当の時間とお金を費やしています。鎌倉時代の備前鍛治作の太刀を買った人もいました。他の生徒は、私が南北朝時代の野太刀も探してやりました。江戸時代の新刀、新新刀を持っている生徒もかなりいます。E-Bayで日本刀を見つけると必ず私に相談です。カウパレスのガンショウでもかなりの掘り出し物を見つけてやりました。
1996年に英国に遠征した時は、二週間近くポールさんと一緒に時を過ごし深い絆ができました。彼と彼の生徒は私にニックネームをくれました。『名誉黒人』だって。彼らとは一緒に飯を食ったり、剣術、試し切りの練習で汗を流したのです。面白い話や、ブッチャけた話もたくさんしました。こんなオモろい連中がアメリカにはまだいるんですね。
ポールさんと英国に行く一ヶ月と少し前のことでした。私はポールさんにちょっとプライベートの話があると言って、近くのレストランに招待し話を切り出しました。「パスポート持っているかい? 今から六週間後に英国に指導の行くのです。一緒にお供を頼みたい」と言うとびっくりして、すごくまじめな顔をしたのを今でもよく覚えています。旅費や滞在費などは、全部向こうで出費してくれますので体一つで行けばよろしいと伝えました。英国では、私の右腕として毎日の指導に励んでくれました。
帰米して二週間後、カウパレスのガンショウがあり、ちょっと珍しい四角のデザインの鍔が見つかりました。私の秘蔵で、勝ち虫のデザインの一作物の拵え金具付きの大脇差に、例の四角の鍔をつけかえて一緒にポールさんに贈呈致しました。あまりの感激に彼は涙ぐんでしまいました。奥さんは号泣です。ポールさんは、英国旅行中ずっと私を助けてくれたので、ささやかなお礼として差し上げたのです。ポールさんはトンボと勝ち虫が同じものであることを知っています。勝ち虫付きの拵え金具の大脇差を差し上げた時、一緒に鑑定書も渡しました。そうです、世界一の鑑定家の得能一男先生が発行した鑑定書付きの400年経っている骨董品の日本刀です。ポールさんは号泣してしまい、便所に隠れました。日本人も知らない史実を彼に教えてやりました。ポールさんは戦国時代に黒人の侍がいたのをご存知です。織田信長が、アフリカのカメルーン生まれの黒人に剣術の修行をさせて、二本差しを与え、腰にそれらを差させて、弥助と命名し侍として扱われたことも知っています。
ポールさんはそれからも、日本町の桜祭りで試し切りと剣術の実演デモに参加してくれています。サンフランシスコ市役所から行進してくれています。侍風の闊歩です。みんな大笑いです。