トワイライトゾーン
トワイライトゾーンは古き良き時代のアメリカのテレビ番組で1959年より製作が開始されました。1960年の初め頃、たくさんのエピソードが製作され、日本へも送られ吹き替えもされて放映されました。私も中学校に通う頃に、自宅のテレビで楽しんで見ていました。ちょっと怖い感じで、ミステリアスなエピソードもかなりあります。アメリカに来た頃の1970年代の初め頃に、テレビのチャンネル20で再放送として夜の11時頃に見ていました。英語の勉強にもなりました。
1983年には映画版のトワイライトゾーンも製作されました。その中での二番目のエピソードに、私の大好きな俳優のヴィックモロー氏が出演しています。彼は1960年の中頃の戦争映画で、コンバットのチップサンダース軍曹役でした。日本でもよく見ていました。1990年代には、新しいテレビ向けのトワイライトゾーンも製作されました。やっぱり白黒で拝見していた1960年代のトワイライトゾーンが一番良いと思います。実に感動します。2010年にE-Bayのオークションで全ての1960年代のトワイライトゾーンのエピソードをVHSで買いました。秘蔵にしました。
古き良き時代の1960年代のトワイライトゾーンのエピソードの中でも特に印象に残っているものがいくつかありますが、一つのエピソードは特に脳裏に焼きついています。タイトルは「Walking Distance」です。訳せば「歩ける距離」でしょうか。
36歳のマーチン・スローンというニューヨークにある広告代理店の会社の重役が、スポーツカーを猛スピードで飛ばしてある田舎のガソリンスタンドに乗りつけます。スタンドアテンダントのメカニックに、ガソリン満タン、オイルチェンジと部品の潤滑油入れを頼みます。25年前にマーチンが住んでいた小さな町Homewoodが、そこの場所から1マイル半(2.4キロ)ぐらいの歩いて行かれる距離にあるので、車の修理中にそこへ徒歩で参ることを決め込みました。Homewoodへ到着しアイスクリーム屋さんに入ります。そこでチョコレートソーダを注文します。そして、なんとなくいつも会っているような従業員のおじさんに話しかけます。「昔、ここにウィルソンと言う店の持ち主がいて、よくオフィスの椅子に座って昼寝をしていたのを覚えている」と従業員に言うと変な顔をされます。チョコレートソーダは昔と同じ値段の5セントでしたが、従業員に1ドル払ってそこを出るのです。マーチンが去った後、従業員は小さな階段を上がり昼寝をしていたウィルソン氏に話しかけます。少なくなったシロップを午後に配達してもらうための手配をしてくれと頼むのです。マーチンは公園の方へ歩いて行き、子供ずれの親子に出会います。高い木の上に登って、危なくなったボビー少年を木から降ろして無事に母の手に委ねるのです。マーチンは、母親に近所の人ですかと聞かれますが、昔ここから少し離れた場所に住んでいて、この公園に来てよく野球をやって遊んでいたと言いました。母親と会話が始まり、夏、メリーゴーランド、バンドのコンサートと公園について語り合います。マーチンは11歳のとき、メリーゴーランド近くの野外音楽堂の柱に自分の名前を彫ったことがある話します。話している時に野外音楽堂の柱の方をふと見ると、少年が名前を彫っていました。柱の方に近寄って行くと、その少年が何と過去の自分の姿でした。11歳の少年は見ず知らずの大人に、マーチンと呼ばれ、困惑して逃げ去ります。マーチンはまた歩き始めます。5歳くらいの坊やが道端でビー玉遊びをしていたので、小さい時に私も同じことをして遊んでいたと言いました。自己紹介をしてから、昔あの家に住んでいたと指をさすと、坊やはスローンハウスだろと言い、自分もあそこに住んでいるマーチン・スローンを知っていると言うのです。私も名前がマーチン・スローンだと言うと信じてくれないので、身分証明書を出そうとすると、小さな坊やは走り去り直ぐ近くの家に入ってしまいました。マーチンは昔自分が住んでいた家へ行き、玄関の呼び鈴を鳴らすと死んだはずの父親が出てきます。次に、誰が来たのと母も玄関にやって来ます。死んだはずの両親と再会です。母は大人のマーチンを見て「誰ですか?」と怖がり、父はドアを閉めてしまいます。閉められたドアの前で立ちすくみ、奇妙だなとマーチンは思いはじめます。隣の家の方を見ると若者がいました。マーチンは、オープンランブルシートが後ろについている車を見て懐かしく思います。若者は、昨日デトロイトの工場から出荷され届いたばかりの1934年製ロードスターだと言います。昨日、父親にプレゼントされた新車だとマーチンに見せつけるのです。そして、マーチンは25年前の過去に戻って来てしまったことを実感するのです。日差しの厳しい午後の町を歩きまわり、夜の8時になってしまいます。両親が住む家に再び戻って来ます。庭に落ちていた野球のグローブを拾い、自転車に付いているベルをチリンチリンと鳴らしていると父親が現われます。「昼間に来ていた君か、また来たんだね」と言われます。自分は、貴方の息子のマーチンと言い張ります。この野球のグローブは「貴方が私の11歳の誕生日にくれたもので野球選手の署名入りです」と言うと、父親はびっくりした様子を見せます。二人の会話を聞いて、母親が現われ怖がります。母に自分が息子のマーチンだと説得しようとします。財布から運転免許証を取り出して見せようとすると、母に顔をはり倒されます。二人はマーチンの言うことを信じてくれないので、外出中の少年マーチンに会って話そうと決め込みます。マーチンは公園の方向へ走ります。やっとメリーゴーランドの木馬に乗る少年マーチンを発見します。近づいて話しかけようとすると、焦った少年マーチンは逃げてメリーゴーランドからころげ落ちて足のひざに大怪我をします。それと同時に、自分にもひざに激痛を感じます。停止したメリーゴーランドから皆が降りて立ち去ります。マーチンは、たった一人になってうちひしがれます。そこへマーチンの父親がやって来ます。マーチンの落とした財布の中身を、悪いことだが見てしまったと父親が言いました。その身分証明書によると「今貴方はニューヨークのアパートに住んでいて、名前がマーチン・スローンです。確かに私の息子のマーチン・スローンです。しかし運転免許証を拝見したが、日付けが1960年で、今から25年先の遠い未来なのだ」と熱く語る父親です。どのようにして未来から過去に来たのですかと聞かれ、マーチンは答えられません。この夏は、少年マーチンのためのもので、貴方の夏ではないのですと父親が言います。たった一回しか訪れることのない11歳のマーチンの夏を彼から奪わないでくれと頼む父親です。できたら、自分の存在していた未来に戻ってくれと言うのです。マーチンはうなずいて父親に別れを告げると、またメリーゴーランドは廻り始め、36歳のマーチンは自分の時代に戻って行くのです。
このエピソードを100回以上拝見致しました。もちろん、紛れも無いフィクションです。メリーゴーランドのある場所で、なんと素晴らしい会話をする父と息子ではありませんか。過去と未来の話をします。文章も素晴らしくて美しい英語です。アングロサクソン人の綺麗な標準語の英語です。私は、こんな素晴らしい英語を聞いて実に感激感動しました。最近のチャライ若者(馬鹿者)の言語障害的な会話を聞くと、実にむかむかして腹立たしいです。親の顔が見たいです。最近の若者のイデタチも酷く非人間的です。ズボンはひざまで下げているし、なんだか解からないです。彼らの将来が私には見えません。こんな連中は、江戸時代だったら獄門です。島流しです。遠島を申しつけます。
1983年に製作された映画版のトワイライトゾーンは五つのエピソードから成り立っていて、1960年代の再製作のエピソードが三つありました。私の好きなヴィック・モローが演出する二番めのエピソードがとても興味深いです。
ヴィック・モロー氏が扮するビル・コナー氏は、テンダートラップと言う名のカクテイルバーの真ん前に車で乗りつけ、入って行きます。バーのテーブルに座っていた友達のラリーとレイと一緒に酒を飲み、愚痴を言い始めます。会社で昇進できず、金持ちのユダヤ人の同僚にその役職を奪いとられ、期待していた6000ドル増しの年間の給料をもらえなかったと熱く語るのです。ビル・コナー氏は偏見的な発言を大声で喚きちらし、他の客の迷惑になります。人種差別的な発言はユダヤ人、黒人、アジア人に向けられ、隣に座っていた三人の黒人のおじさんの一人に注意されます。しかし、人種差別主義的な発言を止めず、今住んでいる自分の家は日本人の銀行が持ち主で賃貸物件だと言うのです。近所には黒人が住んでいるし、ベトナム人もその辺にいつも群がっていると毒舌丸出しの話しぶりです。自分は真の愛国主義者で、朝鮮戦線で戦い、立派なアメリカ人だと豪語し怒り始めます。ついにカクテルバーを飛び出します。
外へ出ると景色が異様です。しばらく前に車を止めてバーに入った時よりも非常に変わっています。ドイツ語で書かれた戦時中のポスターが貼られています。ナチス国家の鉄十字の旗も掲げられています。第二次世界大戦中の始め頃のドイツ占領下のフランスに、ビル・コナー氏は自分を見い出します。通りをパトロールする独軍の軍用車に乗った黒服のSSの髑髏旅団親衛隊隊員二人と運転手に見つけられます。武装親衛隊隊員、SS中尉の肩書きを持つ二人の将校にビル・コナー氏は、ユダヤ人の疑いを掛けられ職務質問されます。SS親衛隊の将校はずっとドイツ語で質問しています。ビル・コナー氏は焦りはじめ、財布の中身のクレジットカードとカリフォルニアドライバーライセンスを吟味され顔を叩かれます。二人のSS親衛隊の将校に抑えられますが、彼らをうまくなぎ払い走り去ります。そのうちの一人のSS親衛隊員は、携帯していたルーガー自動拳銃を腰に下げていたホルスターから抜き、ビル・コナー氏の左の上腕を撃ち抜きます。走って小さな路地に逃げ込み、ビル・コナー氏は汚い木の箱の下に身を隠します。二人のSS親衛隊員はすぐ近くにやって来ますが、隠れているビル・コナー氏を発見できず、あきらめて立ち去ります。ビル・コナー氏は、痛みのある左腕を右手で押さえながら歩き始め、レンガ建築の家屋に逃げ込みます。二階へ行くと、三人の子供と一緒にいた母親を発見します。自分は、しばらく前に拳銃で撃たれて傷を負っているので助けてほしいと嘆願します。しかし、怖がる三人の子供を抱く母親は、外をパトロールしているドイツ国防軍の兵士にビル・コナー氏のことを通報します。10人くらいの兵隊が家屋に入ってきて二階に上がってきます。ビル・コナー氏はバルコニーを出て外へ逃げ、家屋の縁に立ちすくみます。たくさんのドイツ国防軍の兵隊が現われ、二人のSS親衛隊員も現場にやってきます。家屋の縁に立っているビル・コナー氏めがけてルガー拳銃を撃って、的当ての練習を始めます。彼の両側にルーガー自動拳銃の弾が炸裂します。ビル・コナー氏は、ついに家屋の縁からうつぶせの形で地面に落ちてしまいます。
うつぶせの形でもがいていると、突然二人のKKKメンバーの男達に腕を抱えられ、ヒックリかえされて仰向けにされます。そして、罵りの言葉を浴びせられ、黒人としてリンチされそうになります。場所はどう見ても1940年代のアメリカの南部です。KKKの先のとんがった頭の白いユニフォームを着たメンバーがたくさん近くに立っています。ビル・コナー氏は、自分は白人だと言い張りますが、黒人扱いされ殴られ腕時計を強奪されます。KKKメンバーの一人は、木に縄を掛け始めてリンチの準備を続けます。ビル・コナー氏は、一人のKKKメンバーに右足で蹴りを入れます。バランスを失ったメンバーが後ずさりをして、松明の火にぶつかり自分の着ていた白いユニフォームが燃え始めます。他のKKKメンバーが、炎に撒かれた男を助けている間にビル・コナー氏は脱出し、沼に飛び込みます。泳いで逃げるビル・コナー氏に数匹の犬とKKKメンバーが追いうちをかけます。ショットガンとライフル銃で撃たれ、ビル・コナー氏は沼の水の中に潜ります。
水面に出ると、そこは1960年代のベトナムのジャングルの沼の中でした。べトコン兵士数人が近づき、少し泳いで水草の陰に隠れると、大蛇が顔を出してビル・コナー氏の真ん前を横切ります。急にアメリカのロック音楽が聞こえてきます。ジミーヘンドリックスの曲です。ビル・コナー氏は俺はアメリカ人だと叫んでしゃりしゃり出て行きますが、べトコン兵士に間違えられて機関銃掃射を浴びせられ始め手榴弾を投げつけられます。手榴弾がすぐ近くで炸裂し、ビル・コナー氏は吹き飛ばされます。
飛ばされたビル・コナー氏は、壁に体が激しくぶち当たります。再びナチスドイツ占領下のフランスに戻されます。武装親衛隊本部の前の長い階段の下で傷をおった左腕を押さえて歩きはじめると、止まれと歩哨に命令されますが、逃げるので右足を打たれ捕まります。雨の中を三人の武装親衛隊員に抑えられ、鉄道貨物列車の車両の横に押し付けられます。二人のSS武装親衛隊員より両腕を押さえられ、前に来たSS武装親衛隊員から黄色のダビデの星のマークを左胸に貼り付けられ、ユダヤ人のレッテルを貼られてしまいます。次に、四人のドイツ兵に無理やり死の収容所行きの貨物列車に乗せられます。上を見上げると悲しい顔をしたユダヤ人が数人立っています。木でできた車両の隙間から外が見えます。ラリーとレイがカクテルバーの外でビル・コナー氏を探している光景です。「おーい。ビルだよ、おれだよ」と言う彼の叫びを聞いても二人は気付いてはくれません。死の収容所行きの列車は、絶望したビル・コナー氏を乗せて、ゆっくりとアウシュビッツ経由でトワイライトゾーンへと出発します。
このエピソードは、人種差別をすると酷い目に会うのですよと言うことを示唆しています。でも私は、個人的に人種差別をしない人は、まずいないのではないのかと思います。愛車を運転する自分を思い出してみて下さい。フリーウェイやハイウェイを運転中に、わり込みした運転手などに罵りの言葉を叫んでいませんか? ガソリンスタンドで、横入りをした人やわり込みをした人に罵りませんか? 他人を罵るのは危険です。逆切れされて殺されるかもしれません。何人かの信頼できる友達や仕事仲間とブッチャケ話をして、日ごろの鬱憤を晴らして下さい。それを強くお勧めします。ストレスが溜まると病気になり致命的です。お気をつけ下さい。
1983年には映画版のトワイライトゾーンも製作されました。その中での二番目のエピソードに、私の大好きな俳優のヴィックモロー氏が出演しています。彼は1960年の中頃の戦争映画で、コンバットのチップサンダース軍曹役でした。日本でもよく見ていました。1990年代には、新しいテレビ向けのトワイライトゾーンも製作されました。やっぱり白黒で拝見していた1960年代のトワイライトゾーンが一番良いと思います。実に感動します。2010年にE-Bayのオークションで全ての1960年代のトワイライトゾーンのエピソードをVHSで買いました。秘蔵にしました。
古き良き時代の1960年代のトワイライトゾーンのエピソードの中でも特に印象に残っているものがいくつかありますが、一つのエピソードは特に脳裏に焼きついています。タイトルは「Walking Distance」です。訳せば「歩ける距離」でしょうか。
36歳のマーチン・スローンというニューヨークにある広告代理店の会社の重役が、スポーツカーを猛スピードで飛ばしてある田舎のガソリンスタンドに乗りつけます。スタンドアテンダントのメカニックに、ガソリン満タン、オイルチェンジと部品の潤滑油入れを頼みます。25年前にマーチンが住んでいた小さな町Homewoodが、そこの場所から1マイル半(2.4キロ)ぐらいの歩いて行かれる距離にあるので、車の修理中にそこへ徒歩で参ることを決め込みました。Homewoodへ到着しアイスクリーム屋さんに入ります。そこでチョコレートソーダを注文します。そして、なんとなくいつも会っているような従業員のおじさんに話しかけます。「昔、ここにウィルソンと言う店の持ち主がいて、よくオフィスの椅子に座って昼寝をしていたのを覚えている」と従業員に言うと変な顔をされます。チョコレートソーダは昔と同じ値段の5セントでしたが、従業員に1ドル払ってそこを出るのです。マーチンが去った後、従業員は小さな階段を上がり昼寝をしていたウィルソン氏に話しかけます。少なくなったシロップを午後に配達してもらうための手配をしてくれと頼むのです。マーチンは公園の方へ歩いて行き、子供ずれの親子に出会います。高い木の上に登って、危なくなったボビー少年を木から降ろして無事に母の手に委ねるのです。マーチンは、母親に近所の人ですかと聞かれますが、昔ここから少し離れた場所に住んでいて、この公園に来てよく野球をやって遊んでいたと言いました。母親と会話が始まり、夏、メリーゴーランド、バンドのコンサートと公園について語り合います。マーチンは11歳のとき、メリーゴーランド近くの野外音楽堂の柱に自分の名前を彫ったことがある話します。話している時に野外音楽堂の柱の方をふと見ると、少年が名前を彫っていました。柱の方に近寄って行くと、その少年が何と過去の自分の姿でした。11歳の少年は見ず知らずの大人に、マーチンと呼ばれ、困惑して逃げ去ります。マーチンはまた歩き始めます。5歳くらいの坊やが道端でビー玉遊びをしていたので、小さい時に私も同じことをして遊んでいたと言いました。自己紹介をしてから、昔あの家に住んでいたと指をさすと、坊やはスローンハウスだろと言い、自分もあそこに住んでいるマーチン・スローンを知っていると言うのです。私も名前がマーチン・スローンだと言うと信じてくれないので、身分証明書を出そうとすると、小さな坊やは走り去り直ぐ近くの家に入ってしまいました。マーチンは昔自分が住んでいた家へ行き、玄関の呼び鈴を鳴らすと死んだはずの父親が出てきます。次に、誰が来たのと母も玄関にやって来ます。死んだはずの両親と再会です。母は大人のマーチンを見て「誰ですか?」と怖がり、父はドアを閉めてしまいます。閉められたドアの前で立ちすくみ、奇妙だなとマーチンは思いはじめます。隣の家の方を見ると若者がいました。マーチンは、オープンランブルシートが後ろについている車を見て懐かしく思います。若者は、昨日デトロイトの工場から出荷され届いたばかりの1934年製ロードスターだと言います。昨日、父親にプレゼントされた新車だとマーチンに見せつけるのです。そして、マーチンは25年前の過去に戻って来てしまったことを実感するのです。日差しの厳しい午後の町を歩きまわり、夜の8時になってしまいます。両親が住む家に再び戻って来ます。庭に落ちていた野球のグローブを拾い、自転車に付いているベルをチリンチリンと鳴らしていると父親が現われます。「昼間に来ていた君か、また来たんだね」と言われます。自分は、貴方の息子のマーチンと言い張ります。この野球のグローブは「貴方が私の11歳の誕生日にくれたもので野球選手の署名入りです」と言うと、父親はびっくりした様子を見せます。二人の会話を聞いて、母親が現われ怖がります。母に自分が息子のマーチンだと説得しようとします。財布から運転免許証を取り出して見せようとすると、母に顔をはり倒されます。二人はマーチンの言うことを信じてくれないので、外出中の少年マーチンに会って話そうと決め込みます。マーチンは公園の方向へ走ります。やっとメリーゴーランドの木馬に乗る少年マーチンを発見します。近づいて話しかけようとすると、焦った少年マーチンは逃げてメリーゴーランドからころげ落ちて足のひざに大怪我をします。それと同時に、自分にもひざに激痛を感じます。停止したメリーゴーランドから皆が降りて立ち去ります。マーチンは、たった一人になってうちひしがれます。そこへマーチンの父親がやって来ます。マーチンの落とした財布の中身を、悪いことだが見てしまったと父親が言いました。その身分証明書によると「今貴方はニューヨークのアパートに住んでいて、名前がマーチン・スローンです。確かに私の息子のマーチン・スローンです。しかし運転免許証を拝見したが、日付けが1960年で、今から25年先の遠い未来なのだ」と熱く語る父親です。どのようにして未来から過去に来たのですかと聞かれ、マーチンは答えられません。この夏は、少年マーチンのためのもので、貴方の夏ではないのですと父親が言います。たった一回しか訪れることのない11歳のマーチンの夏を彼から奪わないでくれと頼む父親です。できたら、自分の存在していた未来に戻ってくれと言うのです。マーチンはうなずいて父親に別れを告げると、またメリーゴーランドは廻り始め、36歳のマーチンは自分の時代に戻って行くのです。
このエピソードを100回以上拝見致しました。もちろん、紛れも無いフィクションです。メリーゴーランドのある場所で、なんと素晴らしい会話をする父と息子ではありませんか。過去と未来の話をします。文章も素晴らしくて美しい英語です。アングロサクソン人の綺麗な標準語の英語です。私は、こんな素晴らしい英語を聞いて実に感激感動しました。最近のチャライ若者(馬鹿者)の言語障害的な会話を聞くと、実にむかむかして腹立たしいです。親の顔が見たいです。最近の若者のイデタチも酷く非人間的です。ズボンはひざまで下げているし、なんだか解からないです。彼らの将来が私には見えません。こんな連中は、江戸時代だったら獄門です。島流しです。遠島を申しつけます。
1983年に製作された映画版のトワイライトゾーンは五つのエピソードから成り立っていて、1960年代の再製作のエピソードが三つありました。私の好きなヴィック・モローが演出する二番めのエピソードがとても興味深いです。
ヴィック・モロー氏が扮するビル・コナー氏は、テンダートラップと言う名のカクテイルバーの真ん前に車で乗りつけ、入って行きます。バーのテーブルに座っていた友達のラリーとレイと一緒に酒を飲み、愚痴を言い始めます。会社で昇進できず、金持ちのユダヤ人の同僚にその役職を奪いとられ、期待していた6000ドル増しの年間の給料をもらえなかったと熱く語るのです。ビル・コナー氏は偏見的な発言を大声で喚きちらし、他の客の迷惑になります。人種差別的な発言はユダヤ人、黒人、アジア人に向けられ、隣に座っていた三人の黒人のおじさんの一人に注意されます。しかし、人種差別主義的な発言を止めず、今住んでいる自分の家は日本人の銀行が持ち主で賃貸物件だと言うのです。近所には黒人が住んでいるし、ベトナム人もその辺にいつも群がっていると毒舌丸出しの話しぶりです。自分は真の愛国主義者で、朝鮮戦線で戦い、立派なアメリカ人だと豪語し怒り始めます。ついにカクテルバーを飛び出します。
外へ出ると景色が異様です。しばらく前に車を止めてバーに入った時よりも非常に変わっています。ドイツ語で書かれた戦時中のポスターが貼られています。ナチス国家の鉄十字の旗も掲げられています。第二次世界大戦中の始め頃のドイツ占領下のフランスに、ビル・コナー氏は自分を見い出します。通りをパトロールする独軍の軍用車に乗った黒服のSSの髑髏旅団親衛隊隊員二人と運転手に見つけられます。武装親衛隊隊員、SS中尉の肩書きを持つ二人の将校にビル・コナー氏は、ユダヤ人の疑いを掛けられ職務質問されます。SS親衛隊の将校はずっとドイツ語で質問しています。ビル・コナー氏は焦りはじめ、財布の中身のクレジットカードとカリフォルニアドライバーライセンスを吟味され顔を叩かれます。二人のSS親衛隊の将校に抑えられますが、彼らをうまくなぎ払い走り去ります。そのうちの一人のSS親衛隊員は、携帯していたルーガー自動拳銃を腰に下げていたホルスターから抜き、ビル・コナー氏の左の上腕を撃ち抜きます。走って小さな路地に逃げ込み、ビル・コナー氏は汚い木の箱の下に身を隠します。二人のSS親衛隊員はすぐ近くにやって来ますが、隠れているビル・コナー氏を発見できず、あきらめて立ち去ります。ビル・コナー氏は、痛みのある左腕を右手で押さえながら歩き始め、レンガ建築の家屋に逃げ込みます。二階へ行くと、三人の子供と一緒にいた母親を発見します。自分は、しばらく前に拳銃で撃たれて傷を負っているので助けてほしいと嘆願します。しかし、怖がる三人の子供を抱く母親は、外をパトロールしているドイツ国防軍の兵士にビル・コナー氏のことを通報します。10人くらいの兵隊が家屋に入ってきて二階に上がってきます。ビル・コナー氏はバルコニーを出て外へ逃げ、家屋の縁に立ちすくみます。たくさんのドイツ国防軍の兵隊が現われ、二人のSS親衛隊員も現場にやってきます。家屋の縁に立っているビル・コナー氏めがけてルガー拳銃を撃って、的当ての練習を始めます。彼の両側にルーガー自動拳銃の弾が炸裂します。ビル・コナー氏は、ついに家屋の縁からうつぶせの形で地面に落ちてしまいます。
うつぶせの形でもがいていると、突然二人のKKKメンバーの男達に腕を抱えられ、ヒックリかえされて仰向けにされます。そして、罵りの言葉を浴びせられ、黒人としてリンチされそうになります。場所はどう見ても1940年代のアメリカの南部です。KKKの先のとんがった頭の白いユニフォームを着たメンバーがたくさん近くに立っています。ビル・コナー氏は、自分は白人だと言い張りますが、黒人扱いされ殴られ腕時計を強奪されます。KKKメンバーの一人は、木に縄を掛け始めてリンチの準備を続けます。ビル・コナー氏は、一人のKKKメンバーに右足で蹴りを入れます。バランスを失ったメンバーが後ずさりをして、松明の火にぶつかり自分の着ていた白いユニフォームが燃え始めます。他のKKKメンバーが、炎に撒かれた男を助けている間にビル・コナー氏は脱出し、沼に飛び込みます。泳いで逃げるビル・コナー氏に数匹の犬とKKKメンバーが追いうちをかけます。ショットガンとライフル銃で撃たれ、ビル・コナー氏は沼の水の中に潜ります。
水面に出ると、そこは1960年代のベトナムのジャングルの沼の中でした。べトコン兵士数人が近づき、少し泳いで水草の陰に隠れると、大蛇が顔を出してビル・コナー氏の真ん前を横切ります。急にアメリカのロック音楽が聞こえてきます。ジミーヘンドリックスの曲です。ビル・コナー氏は俺はアメリカ人だと叫んでしゃりしゃり出て行きますが、べトコン兵士に間違えられて機関銃掃射を浴びせられ始め手榴弾を投げつけられます。手榴弾がすぐ近くで炸裂し、ビル・コナー氏は吹き飛ばされます。
飛ばされたビル・コナー氏は、壁に体が激しくぶち当たります。再びナチスドイツ占領下のフランスに戻されます。武装親衛隊本部の前の長い階段の下で傷をおった左腕を押さえて歩きはじめると、止まれと歩哨に命令されますが、逃げるので右足を打たれ捕まります。雨の中を三人の武装親衛隊員に抑えられ、鉄道貨物列車の車両の横に押し付けられます。二人のSS武装親衛隊員より両腕を押さえられ、前に来たSS武装親衛隊員から黄色のダビデの星のマークを左胸に貼り付けられ、ユダヤ人のレッテルを貼られてしまいます。次に、四人のドイツ兵に無理やり死の収容所行きの貨物列車に乗せられます。上を見上げると悲しい顔をしたユダヤ人が数人立っています。木でできた車両の隙間から外が見えます。ラリーとレイがカクテルバーの外でビル・コナー氏を探している光景です。「おーい。ビルだよ、おれだよ」と言う彼の叫びを聞いても二人は気付いてはくれません。死の収容所行きの列車は、絶望したビル・コナー氏を乗せて、ゆっくりとアウシュビッツ経由でトワイライトゾーンへと出発します。
このエピソードは、人種差別をすると酷い目に会うのですよと言うことを示唆しています。でも私は、個人的に人種差別をしない人は、まずいないのではないのかと思います。愛車を運転する自分を思い出してみて下さい。フリーウェイやハイウェイを運転中に、わり込みした運転手などに罵りの言葉を叫んでいませんか? ガソリンスタンドで、横入りをした人やわり込みをした人に罵りませんか? 他人を罵るのは危険です。逆切れされて殺されるかもしれません。何人かの信頼できる友達や仕事仲間とブッチャケ話をして、日ごろの鬱憤を晴らして下さい。それを強くお勧めします。ストレスが溜まると病気になり致命的です。お気をつけ下さい。