ジョージさん
ジョージさんは仙台生まれの日本人で、幼少の時に米国に両親と移住してヘイワードで育ちました。税務署の職員になり、まじめな人柄の持ち主です。1990年初め頃に桑港日本刀協会に入門し、日本史、日本刀の鑑定を勉強し始めました。その後ジョージさんは終身会員になりました。種々の日本刀の修理修繕のクラスにも、よく顔を出しています。両親は日本語を話しますが、彼は日本語をあまり私と話さないようにしているみたいです。ジョージさんのお父上様からたくさんの日本語の日本刀の本をいただきました。お母上様からは、錆身の日本刀をたくさん安く買わせていただきました。中には掘り出し物の日本刀もありました。
ジョージさんは、幕末に製作された十一代目和泉守兼定の刀を持っています。錆身だったこの刀は、私の師匠が日本で、研磨師で友人の桜井さんに研磨させて、得能一男先生の鑑定書を発行してもらい、米国に再び持ち帰ったものです。堂々たる二尺五寸の刃渡りのある立派な刀です。他にも珍しい日本刀をジョージさんはたくさん持っています。息子さんがいるので、これらの日本刀を差し上げるつもりです。きっと良い家宝になることでしょう。
研磨のクラスにはあまり登場しませんが、私の自宅に来て京都産の研磨石をいつも買って家に持って帰ります。特に 内曇り地砥と内曇り刃砥が好きでよく買って行きます。研磨石の収集を喜んでしています。これらの石は高価で、一本400ドルから500ドルします。日本では倍の値段です。私は、ワケあって半額で研磨用の京都産の砥石を手に入れることができるのです。ジョージさんは、研磨のプロセスの中で最後の方で行う、磨き用の鎬地を綺麗にする磨き棒も日本から買いました。ロケットの外側と同じ材質の金属のタンガロンで出来ているその磨き棒を3本持っています。総額10万円以上です。
ジョージさんの住むヘイワードには銅金を買える場所があり、私達の鎺金造りのクラス専用に厚さ3ミリの銅の延べ金をいつも調達してくれます。私は、鎺金を作る作業を日本で師匠と三人の白金師から習得しました。自分でも研究を重ねて、日本で修理修繕の仕事を終えてから帰米後の四年後、生徒に鎺金造りを教え始めました。今現在17人の生徒に鎺金の造り方を指導しましたが、それで飯を食える人が現われていません。残念です。このような文化的に価値がある技術は、衰退し消滅して行くのでしょう。本当に残念です。継承者がいません。それでも私は良いと思っています。私だけがこの世界にお邪魔をし、秘伝、奥伝、口伝を伝授され、最高の栄誉を師匠から受け継いだので後悔はありません。実に楽しく、尊い日本刀関連の仕事をさせていただいたのですから悔いはありません。きっと、ジョージさんも日本人なので、そういう風に考えているでしょう。
2000年頃から、ジョージさんに柄巻きの巻き方を指導することになりました。順調に柄巻きの仕事を覚えて達者に活躍しています。柄巻きの仕事は忍耐と根気が要ります。また単純にできる仕事ではありません。確実な狂いのない木台を日本刀の茎に合わせて、朴の木で造り、エイの皮を着せて、クッションになる菱型と三角型の和紙を張らなければいけません。準備に相当の時間が要ります。柄紐は絹、綿、皮などがあり、色も多種多様で染料で綺麗に染めなくてはなりません。鞘についている栗型に巻く下げ緒の紐も、柄紐と同じ色に染めなくなりません。大変です。
しかし日本文化を受け継ぐ者として尊い仕事です。武士道を蘇えさせる仕事です。これからもジョージさんと一緒にがんばります。
ジョージさんは、幕末に製作された十一代目和泉守兼定の刀を持っています。錆身だったこの刀は、私の師匠が日本で、研磨師で友人の桜井さんに研磨させて、得能一男先生の鑑定書を発行してもらい、米国に再び持ち帰ったものです。堂々たる二尺五寸の刃渡りのある立派な刀です。他にも珍しい日本刀をジョージさんはたくさん持っています。息子さんがいるので、これらの日本刀を差し上げるつもりです。きっと良い家宝になることでしょう。
研磨のクラスにはあまり登場しませんが、私の自宅に来て京都産の研磨石をいつも買って家に持って帰ります。特に 内曇り地砥と内曇り刃砥が好きでよく買って行きます。研磨石の収集を喜んでしています。これらの石は高価で、一本400ドルから500ドルします。日本では倍の値段です。私は、ワケあって半額で研磨用の京都産の砥石を手に入れることができるのです。ジョージさんは、研磨のプロセスの中で最後の方で行う、磨き用の鎬地を綺麗にする磨き棒も日本から買いました。ロケットの外側と同じ材質の金属のタンガロンで出来ているその磨き棒を3本持っています。総額10万円以上です。
ジョージさんの住むヘイワードには銅金を買える場所があり、私達の鎺金造りのクラス専用に厚さ3ミリの銅の延べ金をいつも調達してくれます。私は、鎺金を作る作業を日本で師匠と三人の白金師から習得しました。自分でも研究を重ねて、日本で修理修繕の仕事を終えてから帰米後の四年後、生徒に鎺金造りを教え始めました。今現在17人の生徒に鎺金の造り方を指導しましたが、それで飯を食える人が現われていません。残念です。このような文化的に価値がある技術は、衰退し消滅して行くのでしょう。本当に残念です。継承者がいません。それでも私は良いと思っています。私だけがこの世界にお邪魔をし、秘伝、奥伝、口伝を伝授され、最高の栄誉を師匠から受け継いだので後悔はありません。実に楽しく、尊い日本刀関連の仕事をさせていただいたのですから悔いはありません。きっと、ジョージさんも日本人なので、そういう風に考えているでしょう。
2000年頃から、ジョージさんに柄巻きの巻き方を指導することになりました。順調に柄巻きの仕事を覚えて達者に活躍しています。柄巻きの仕事は忍耐と根気が要ります。また単純にできる仕事ではありません。確実な狂いのない木台を日本刀の茎に合わせて、朴の木で造り、エイの皮を着せて、クッションになる菱型と三角型の和紙を張らなければいけません。準備に相当の時間が要ります。柄紐は絹、綿、皮などがあり、色も多種多様で染料で綺麗に染めなくてはなりません。鞘についている栗型に巻く下げ緒の紐も、柄紐と同じ色に染めなくなりません。大変です。
しかし日本文化を受け継ぐ者として尊い仕事です。武士道を蘇えさせる仕事です。これからもジョージさんと一緒にがんばります。