ジェームスさん
ジェームスさんは2005年4月の春の桜祭りの時に、私がサンフランシスコ日本町のPost Streetで日本刀を展示していた時に生徒になりました。2007年の秋頃から、剣術と試し切りのクラスにも顔を出すようになりました。会員になる前から、脇差を一振り収集していました。友達が、その脇差に悪さをするので350ドルで買い上げて秘蔵にしていたそうです。その脇差は、入門と同時に私が個人的に精査し鑑定しました。肥前国忠吉(ひぜんこくただよし)六代の製作した価値ある素晴らしいものです。
ジェームスさんは、入門後の6ヶ月程経った2005年10月頃になると相当の日本刀の知識を持つようになり、E-Bayのオークションで日本刀を相当数買い入れはじめました。ジェームスさんの錆ている日本刀は全て私が修理修繕致しました。いくつかの例を挙げてみましょう。
①ジェームスさんが、2008年の6月24日にE-Bayオークションで見つけた海部鍛冶の製作した脇差の造り込みは異風です。厳密に言うと、片側は平造りですが、反対側が片切り刃造りです。瀬戸内海に出没していた海賊用に製作された実戦用の脇差です。なぜか、これらの脇差の銘は刀身にあります。厳密に言うと、海部鍛冶鍛冶達の銘の位置は鎺金の上か、尋常の日本刀のように茎にあります。三種目の銘の位置は刀身と茎にかけ渡すようにあります。
ジェームスさんが見つけた海部鍛冶の脇差は、刀身と茎の両方に銘が架かるようにありました。三種目の銘の位置です。銘は、一応、七つの漢字から成り立っていました。海部鮎喰住氏次(かいふ あくい じゅう うじつぐ)です。海部の地の前にも、少し研磨されて多分漢字が二文字あったのでしょう。もしあったとすると阿州です。桑港刀剣会の会員は、どこかで日本刀を見つけて来ると必ず私に相談をしてきます。それが今現在暗黙の了解となっています。プライベート・コンサルテーションです。E-Bayは、Sales Item#も出ていてとても見やすいです。売人の注釈もありますが、間違えが多いです。特に銘を読もうとしていますが、的外れだったり、漢字の読みは“下の下の下の下”です。読めないのなら、デタラメの読みを公に発表するなと、言いたい私です。ジェームスさんの見つけた海部鍛冶の作った脇差は、銘の読みが全然表記されていなかったです。私はこの脇差の銘を読んであげた後に、2500冊程ある星野文庫図書館で海部鍛冶の情報を見つけました。大きな日本地図にも鮎喰川が発見できました。このE-Bayでジェームスさんが見つけた海部脇差は、享保年間(1716-1736)に製作されたと私は鑑定しました。会員のジェームスさんに情報提供中、漢字の音読みと訓読みの話もしてあげました。新刀時代の海部鍛冶に影響を与えた他国の刀鍛冶の団体が二つありました。一つは、南北朝時代からの地元の海部鍛冶で、もう一つは九州の波の平鍛冶団体です。
たくさんの情報がジェームスさんに送られ、SBP(Suggested Bid Price)とIP(Ideal Price)も示唆し、ジェームスさんはこの海部鍛治製作の脇差を買う決意を致しました。奥さんのエンジェルさんも合意をしてくれたそうです。最終落札価格は860ドルでした。付属の拵えと拵え金具の価値が1000ドルぐらいなので、刀身は只みたいな買い物です。一週間ぐらいして、ジェームスさんとエンジェルさんは、共に海部脇差を桑港剣術道場に持参しました。修理修繕も終了し、私の鑑定結果後、価値は3500ドルから4000ドルと査定致しました。二人は大喜びです。因みに修理修繕代は625ドルでした。脇差は刀の四割位の値段ですが、海部鍛冶の作った脇差は希少価値があります。
②2009年の秋頃、ジェームスさんは試し切り用の長い刀を探していました。E-Bayオークションで、刃長が二尺四寸五分ある湾刀を見つけ230ドルで買いました。11月の日本刀勉強会に持参し私が精査してから鑑定致しました。応永時代(1396-1428)の備前の盛光の作です。610年位経っている太刀です。しかし、切り先きの破損が激しく、少し改ざんが必要ですとジェームスさんに言いました。即座に「改ざん後の値打ちは上がりますか」と聞くので、もちろんですと言ってあげました。その値段を聞くと、ジェームスさんは改ざん、研磨、新規の白鞘の工作の三つの仕事を私にくれました。修理修繕の費用は900ドルです。値打ちは、本物の太刀なので4500ドルから5000ドルぐらい、と少な目に言ってあげました。この仕事の写真が、私の英語のウェブサイトの「Did you know?」コラムのPost 53の箇所に載っています。吟味して下さい。
③加州清光の槍。2010年の3月にジェームスさんは小さな槍をE-Bayオークションで見つけました。いつものように私に相談。銘を読んであげました。清光です。珍しい加賀藩の槍鍛冶によって製作された寛文時代(1661-1673)の作品です。希少価値むんむんです。穂長15センチから20センチの直槍(すぐやり、すやり、じきやり)は、そんなに高価な物ではありません。刀の約二割ぐらいの値段で取引きされています。同じような穂長の槍で一番高価なものは十文字槍です。枝槍と十文字槍は工作過程に時間が掛かるので、必然的に高価になるのです。一番高価な槍は大身の槍です。一応、穂長が二尺(60センチ)以上でなければいけないという掟があります。ジェームスさんが買った槍の値段は400ドルです。錆身の槍を綺麗に研磨し、白鞘も新規に工作しました。珍しい、十二月清光の作品です。最初の漢字の清のつくりの青が、槍鍛冶が崩して鏨で切っているので十二月と読めるのです。日本刀収集家の間で珍重されています。私の日本刀展示会では、この清光さんの直槍をジェームスさんから借りて、私の収集の十二月清光の大小(大刀と小刀)と一緒に飾っています。私の所には清光の刀が一振り、脇差が三振りあります。会員の一人の岡村さんは、右手差しの珍しい清光を持っています。ジェームスさんの十二月清光の槍の修理修繕の写真がたくさんあります。茎の先の形もはっきりと見えます。私の英語のウェブサイトの「Did you know?」コラムのPost 96の箇所に載っています。吟味していただければ幸いです。
ジェームスさんは、入門後の6ヶ月程経った2005年10月頃になると相当の日本刀の知識を持つようになり、E-Bayのオークションで日本刀を相当数買い入れはじめました。ジェームスさんの錆ている日本刀は全て私が修理修繕致しました。いくつかの例を挙げてみましょう。
①ジェームスさんが、2008年の6月24日にE-Bayオークションで見つけた海部鍛冶の製作した脇差の造り込みは異風です。厳密に言うと、片側は平造りですが、反対側が片切り刃造りです。瀬戸内海に出没していた海賊用に製作された実戦用の脇差です。なぜか、これらの脇差の銘は刀身にあります。厳密に言うと、海部鍛冶鍛冶達の銘の位置は鎺金の上か、尋常の日本刀のように茎にあります。三種目の銘の位置は刀身と茎にかけ渡すようにあります。
ジェームスさんが見つけた海部鍛冶の脇差は、刀身と茎の両方に銘が架かるようにありました。三種目の銘の位置です。銘は、一応、七つの漢字から成り立っていました。海部鮎喰住氏次(かいふ あくい じゅう うじつぐ)です。海部の地の前にも、少し研磨されて多分漢字が二文字あったのでしょう。もしあったとすると阿州です。桑港刀剣会の会員は、どこかで日本刀を見つけて来ると必ず私に相談をしてきます。それが今現在暗黙の了解となっています。プライベート・コンサルテーションです。E-Bayは、Sales Item#も出ていてとても見やすいです。売人の注釈もありますが、間違えが多いです。特に銘を読もうとしていますが、的外れだったり、漢字の読みは“下の下の下の下”です。読めないのなら、デタラメの読みを公に発表するなと、言いたい私です。ジェームスさんの見つけた海部鍛冶の作った脇差は、銘の読みが全然表記されていなかったです。私はこの脇差の銘を読んであげた後に、2500冊程ある星野文庫図書館で海部鍛冶の情報を見つけました。大きな日本地図にも鮎喰川が発見できました。このE-Bayでジェームスさんが見つけた海部脇差は、享保年間(1716-1736)に製作されたと私は鑑定しました。会員のジェームスさんに情報提供中、漢字の音読みと訓読みの話もしてあげました。新刀時代の海部鍛冶に影響を与えた他国の刀鍛冶の団体が二つありました。一つは、南北朝時代からの地元の海部鍛冶で、もう一つは九州の波の平鍛冶団体です。
たくさんの情報がジェームスさんに送られ、SBP(Suggested Bid Price)とIP(Ideal Price)も示唆し、ジェームスさんはこの海部鍛治製作の脇差を買う決意を致しました。奥さんのエンジェルさんも合意をしてくれたそうです。最終落札価格は860ドルでした。付属の拵えと拵え金具の価値が1000ドルぐらいなので、刀身は只みたいな買い物です。一週間ぐらいして、ジェームスさんとエンジェルさんは、共に海部脇差を桑港剣術道場に持参しました。修理修繕も終了し、私の鑑定結果後、価値は3500ドルから4000ドルと査定致しました。二人は大喜びです。因みに修理修繕代は625ドルでした。脇差は刀の四割位の値段ですが、海部鍛冶の作った脇差は希少価値があります。
②2009年の秋頃、ジェームスさんは試し切り用の長い刀を探していました。E-Bayオークションで、刃長が二尺四寸五分ある湾刀を見つけ230ドルで買いました。11月の日本刀勉強会に持参し私が精査してから鑑定致しました。応永時代(1396-1428)の備前の盛光の作です。610年位経っている太刀です。しかし、切り先きの破損が激しく、少し改ざんが必要ですとジェームスさんに言いました。即座に「改ざん後の値打ちは上がりますか」と聞くので、もちろんですと言ってあげました。その値段を聞くと、ジェームスさんは改ざん、研磨、新規の白鞘の工作の三つの仕事を私にくれました。修理修繕の費用は900ドルです。値打ちは、本物の太刀なので4500ドルから5000ドルぐらい、と少な目に言ってあげました。この仕事の写真が、私の英語のウェブサイトの「Did you know?」コラムのPost 53の箇所に載っています。吟味して下さい。
③加州清光の槍。2010年の3月にジェームスさんは小さな槍をE-Bayオークションで見つけました。いつものように私に相談。銘を読んであげました。清光です。珍しい加賀藩の槍鍛冶によって製作された寛文時代(1661-1673)の作品です。希少価値むんむんです。穂長15センチから20センチの直槍(すぐやり、すやり、じきやり)は、そんなに高価な物ではありません。刀の約二割ぐらいの値段で取引きされています。同じような穂長の槍で一番高価なものは十文字槍です。枝槍と十文字槍は工作過程に時間が掛かるので、必然的に高価になるのです。一番高価な槍は大身の槍です。一応、穂長が二尺(60センチ)以上でなければいけないという掟があります。ジェームスさんが買った槍の値段は400ドルです。錆身の槍を綺麗に研磨し、白鞘も新規に工作しました。珍しい、十二月清光の作品です。最初の漢字の清のつくりの青が、槍鍛冶が崩して鏨で切っているので十二月と読めるのです。日本刀収集家の間で珍重されています。私の日本刀展示会では、この清光さんの直槍をジェームスさんから借りて、私の収集の十二月清光の大小(大刀と小刀)と一緒に飾っています。私の所には清光の刀が一振り、脇差が三振りあります。会員の一人の岡村さんは、右手差しの珍しい清光を持っています。ジェームスさんの十二月清光の槍の修理修繕の写真がたくさんあります。茎の先の形もはっきりと見えます。私の英語のウェブサイトの「Did you know?」コラムのPost 96の箇所に載っています。吟味していただければ幸いです。