オートバーンで金髪の美女と180マイル走行
皆さんもご存知のドイツの高速道路です。1913年頃から造られ1921年に一応完成したそうです。しかし1932年には、1860マイル(3000キロ)補足されたそうです。イタリアとスイスにも似通った道路があると聞いています。さて、1934年にヒトラー総統が全ドイツの最高権力者になり、オートバーンの建設に力を注ぐと、1935年に全長が108キロだったのが、翌年の1936年には1086キロになり、十倍の全長になりました。いかにアドルフ・ヒトラー総統の力が偉大であったことが伺われます。2001年には、全長は7965マイル(12800キロ)になったそうです。アメリカや他の国の高速道路は、コンクリートの厚さが2フィート(約60センチ)ぐらいだそうですが、ドイツのオートバーンの厚さは 8フィート(240センチ)もあるそうです。オートバーンのほとんどがスピード無制限ですが、場所によっては最大スピードが81マイル(130キロ)だそうです。
私も1980年代の後期と1990年代の初期にドイツ、イタリアで日本武術の指導を行った時にオートバーンをちょっと走ってみました。
1988年の10月の初め頃、イタリアに招かれてローマ付近で日本武術のセミナーを行いました。全ての必要経費と私の給料が8月下旬までに米国に送られてきて、毎日の武術指導に関する完璧なスケジュールを立てた後、イタリアに参上いたした次第です。10日間にわたって私は日本武術の指導を行ない、イタリア全国中継のテレビニュースにも三日間続いて登場し、イタリア唯一の武術関係月刊誌サムライとバンザイにも私の記事が記載されました。サムライマガジンには、表紙にでかでかと私が出ています。ローマ市近辺でうわさの人となり、日本武術セミナーの指導に望みました。指導した内容は剣術、試し切り、手裏剣術、短刀術、薙刀術、柔軟体操、指圧のデモンストレーションです。完全防具付きの剣術、薙刀術、短刀術の乱捕りも行いました。講義内容は日本史、日本刀、サムライダイエット、忍者ダイエット、指圧の経絡とツボなどです。質問と回答のコーナーも設け、いろいろな課題についてお話を進めました。源平合戦、士農工商制度、下克上、戦国大名の紹介、種子島火縄銃の実話、家紋の話、廃藩置県、江戸時代の捕獲武器、忍者服部半蔵の話もしてあげました。結構イタリア人でも、日本史、日本文化、習慣のことを勉強している人がいたので、私も励みになり楽しみました。
十日間の日本武術のセミナーが無事終了し、その後の二日間はずっと観光地巡り、市内観光、案内をしてもらいました。ローマのコロシアムで手裏剣を持ってポーズし、写真をたくさん撮りました。ランチを食べていると、いろんな神殿のような建物が周りを取り巻いていて、一つ一つの建物の丁重な説明がありました。建物の建設された年代とか、誰の建設など。2000年以上経っている建物もたくさんありました。
セミナーに毎日来ていた一人の生徒は私をすごく気に入ってくれ、彼女がたくさん所持する車の中から二人乗り用のスポーツカーを選んでくれ、イタリアの田舎町の道路や高速道路を走って案内してくれました。スポーツカーの車種はフェラーリ308クアットロヴァルヴォーレ1984年製です。3リッターエンジンです。色は真っ赤でした。どこかのガレージに収納されている同じような308クアットロヴァルヴォーレ1982年製を最近見たことがあったなと思いながら、私はにっこり笑っていました。赤いフェラーリに鼻の高い金髪の美女が乗ると実に似合うものですね。二人で撮った写真は秘蔵にしました。誤解を招く可能性があるからです。イタリアからスイスの国境を越えて、ドイツのオートバーンへ向かいました。やっぱり308の加速はやはりすごいですね。音も臍下丹田に響いてきます。オートバーンを160から180マイルの間の速度で走って楽しんでいると、いきなりメルセデスベンツの4ドアのドイツ車が308をすっぱ抜きです。「何ですか?あの黒のベンツは?実に実にびっくりしました。少なくとも、フェラーリ308クアットロヴァルヴォーレを一瞬にしてすっぱ抜く車は黄色いランボルギーニでなくてはいけないんじゃないか」と妄想する私と生徒でした。黒のベンツのセダンの普通車のスピードは少なくとも200マイルは出していたでしょう。新幹線と同じ位のスピードです。きっとメカに強い、どっかのオッサンがエンジンを特別に大改造して、オートバーンでテストドライブをしていたのでしょう。にっくき美しいライバルめ。顔が見たい。またオートバーンに行ってフェラーリ308クアットロヴァルヴォーレを運転したい。
イタリアからアメリカへ帰る日に、たくさんのイタリア人の生徒がローマ空港まで見送りに来ていました。例の金髪の美女もいました。彼女は、フェラーリ308クアットロヴァルヴォーレのモデルカーを私にプレゼントしてくれました。今もその赤色のカーモデル持っていますよ。
私も1980年代の後期と1990年代の初期にドイツ、イタリアで日本武術の指導を行った時にオートバーンをちょっと走ってみました。
1988年の10月の初め頃、イタリアに招かれてローマ付近で日本武術のセミナーを行いました。全ての必要経費と私の給料が8月下旬までに米国に送られてきて、毎日の武術指導に関する完璧なスケジュールを立てた後、イタリアに参上いたした次第です。10日間にわたって私は日本武術の指導を行ない、イタリア全国中継のテレビニュースにも三日間続いて登場し、イタリア唯一の武術関係月刊誌サムライとバンザイにも私の記事が記載されました。サムライマガジンには、表紙にでかでかと私が出ています。ローマ市近辺でうわさの人となり、日本武術セミナーの指導に望みました。指導した内容は剣術、試し切り、手裏剣術、短刀術、薙刀術、柔軟体操、指圧のデモンストレーションです。完全防具付きの剣術、薙刀術、短刀術の乱捕りも行いました。講義内容は日本史、日本刀、サムライダイエット、忍者ダイエット、指圧の経絡とツボなどです。質問と回答のコーナーも設け、いろいろな課題についてお話を進めました。源平合戦、士農工商制度、下克上、戦国大名の紹介、種子島火縄銃の実話、家紋の話、廃藩置県、江戸時代の捕獲武器、忍者服部半蔵の話もしてあげました。結構イタリア人でも、日本史、日本文化、習慣のことを勉強している人がいたので、私も励みになり楽しみました。
十日間の日本武術のセミナーが無事終了し、その後の二日間はずっと観光地巡り、市内観光、案内をしてもらいました。ローマのコロシアムで手裏剣を持ってポーズし、写真をたくさん撮りました。ランチを食べていると、いろんな神殿のような建物が周りを取り巻いていて、一つ一つの建物の丁重な説明がありました。建物の建設された年代とか、誰の建設など。2000年以上経っている建物もたくさんありました。
セミナーに毎日来ていた一人の生徒は私をすごく気に入ってくれ、彼女がたくさん所持する車の中から二人乗り用のスポーツカーを選んでくれ、イタリアの田舎町の道路や高速道路を走って案内してくれました。スポーツカーの車種はフェラーリ308クアットロヴァルヴォーレ1984年製です。3リッターエンジンです。色は真っ赤でした。どこかのガレージに収納されている同じような308クアットロヴァルヴォーレ1982年製を最近見たことがあったなと思いながら、私はにっこり笑っていました。赤いフェラーリに鼻の高い金髪の美女が乗ると実に似合うものですね。二人で撮った写真は秘蔵にしました。誤解を招く可能性があるからです。イタリアからスイスの国境を越えて、ドイツのオートバーンへ向かいました。やっぱり308の加速はやはりすごいですね。音も臍下丹田に響いてきます。オートバーンを160から180マイルの間の速度で走って楽しんでいると、いきなりメルセデスベンツの4ドアのドイツ車が308をすっぱ抜きです。「何ですか?あの黒のベンツは?実に実にびっくりしました。少なくとも、フェラーリ308クアットロヴァルヴォーレを一瞬にしてすっぱ抜く車は黄色いランボルギーニでなくてはいけないんじゃないか」と妄想する私と生徒でした。黒のベンツのセダンの普通車のスピードは少なくとも200マイルは出していたでしょう。新幹線と同じ位のスピードです。きっとメカに強い、どっかのオッサンがエンジンを特別に大改造して、オートバーンでテストドライブをしていたのでしょう。にっくき美しいライバルめ。顔が見たい。またオートバーンに行ってフェラーリ308クアットロヴァルヴォーレを運転したい。
イタリアからアメリカへ帰る日に、たくさんのイタリア人の生徒がローマ空港まで見送りに来ていました。例の金髪の美女もいました。彼女は、フェラーリ308クアットロヴァルヴォーレのモデルカーを私にプレゼントしてくれました。今もその赤色のカーモデル持っていますよ。