『Last Samurai』映画感想文
一年二組 組長 星野治仲
この映画は、単に『よくできた映画』として、優雅で結構でございます。しかし、歴史的には実に幼稚園児の物まねです。あてつけです。史実に基づいて製作されていません。やはりハリウッド映画です。かっこよーくできています。実に大衆を煽っていて驚くばかりです。乗せられた大衆がアホです。
大体、日本人はかっこいい物や者にあこがれ、真似をしています。欧米人は『身のほど知らずの日本人のサルの物真似だ』とか言って、へナへナ笑っています。『欧米人は、実にビシッと決まったことを言ってくれているなあ』と、私も感激しています。
最近、日本人はかっこいいものに憧れ、おかしくなっています。生まれた時は日本一の神道です。大人になると、たいがいは結婚式はカトリック教会で行います。花嫁はウエディングドレスに憧れます。賛美歌、牧師さんが伴います。死ぬ時は仏教です。『畳の上で死にたい。成仏する。仏になる』とか訳の解らんことを申します。なんだか、ちゃらんぽらんで解りません。単に、教会で結婚式を挙げると親戚に見栄えが良い、格好が良いからそうするのです。他に、まともな理由が全然ありません。私は質問責めをアホ達にしたいです。本物のカトリック信者だったのですか? 改宗したんですか?
同映画は『かっこよい』と思っている日本人と米国人の両方のアホ達用に良くできています。南蛮人、野蛮人、紅毛人の中途半端な映画です。日本を履き違えた、外人の映画です。日本人の役者さん達を調子に乗せて、上手く、映画の中でこき使っています。
少し歴史的な映画の時代背景をお話を致します。Military Adviser(軍、または軍隊の助言者)と称される米国人は、あの時には存在しなかったのです。インディアンを殺戮した騎兵隊員なんか、日本にはいなかったのです。いたとしてもずっと後の後の話です。あの頃、日本は英国、仏国、独国の軍隊の真似をしていました。日本刀にも洋式のサーベル風なのが使用され、日本独自の旧軍装式の突兵拵え、突鉢拵えが作られました。軍服も、今の中学校、高等学校の学生服のようなものが取り入れられました。京都に向かった薩摩藩と長州藩の両倒幕軍の服が良い例です。米国が日本に興味を示したのは、島国である日本を鯨の捕獲船の中継地点として選んだからです。捕獲船用の水や食料の調達や、船員の休息のために単に立ち寄っただけなのです。アメリカのような大国が、小さな島国なんかを平等に相手にするなんて思う人は無知です。お袋の口癖の一つを思い出します。馬鹿は死ななきゃ直らない。
私はこの映画が出てきて、試写会の為にたくさんの前売り券を買って、桑港日本刀協会の会員、桑港剣術道場の生徒を誘って連れて行ってあげました。場所はサンフランシスコ日本町の歌舞伎劇場でした。みんなは楽しそうにしていたので、本当の事や史実を控えました。ちょっと言うと、『また、天邪鬼が、空気を乱している』と言われたくなかったし、私が大金を使って前売り券を買ってやったので、悪者にはなりたくなかったのです。良い先生、配慮のある道場長でいたかったのです。
今思い出すと、役者の剣術の太刀まわりがオソマツでした。戦場で紅毛人に殺された奥さんの顔が寂し過ぎます。泣きそうな顔です。ブスではありませんが、あんな顔の女性と生活したら、寂しくて自殺を考えるアホも出て来るでしょう。そして、あの姉ちゃんは、兄じゃに文句たらたらです。獣のような匂いがして『もう、やっちゃいられん』と申すのです。私は『当たり前だ』と思いました。風呂に一ヶ月以上、いや、もっと入っていないのです。風呂に入る。身体を綺麗にする。そんな習慣が、紅毛人や野蛮人には無いのです。臭過ぎるのです。飯を食う時の箸の使い方も幼稚園児のような握りです。大爆笑です。まともな役者は、ボブと呼ばれた侍だけです。一番シンドイ役者は明治天皇の役をした若僧です。私的には、あいつの話す英語は『オカマ』です。話す口調が完璧にオカマ風でした。悪役の大村さんが、明治天皇の役をすれば、ドスが効いていて天皇陛下様と呼ばれるのにふさわしいのです。日本国を代表する本物の日本人のようです。忍者が出現しました。あの頃、忍者はいなかったのです。
同映画以外にも、いろんな史実に沿っていない侍映画を過去にたくさん拝見しました。映画を娯楽とか趣味で楽しむだけなら良いのですが、信じるアホが出現してきます。実にアホです。夢と現実をごっちゃにする人々もいます。実にアホです。腹が立ちます。
歴史的見地や、史実に沿って映画を見たりしたらいけないのかもしれません。今後の私の課題です。
大体、日本人はかっこいい物や者にあこがれ、真似をしています。欧米人は『身のほど知らずの日本人のサルの物真似だ』とか言って、へナへナ笑っています。『欧米人は、実にビシッと決まったことを言ってくれているなあ』と、私も感激しています。
最近、日本人はかっこいいものに憧れ、おかしくなっています。生まれた時は日本一の神道です。大人になると、たいがいは結婚式はカトリック教会で行います。花嫁はウエディングドレスに憧れます。賛美歌、牧師さんが伴います。死ぬ時は仏教です。『畳の上で死にたい。成仏する。仏になる』とか訳の解らんことを申します。なんだか、ちゃらんぽらんで解りません。単に、教会で結婚式を挙げると親戚に見栄えが良い、格好が良いからそうするのです。他に、まともな理由が全然ありません。私は質問責めをアホ達にしたいです。本物のカトリック信者だったのですか? 改宗したんですか?
同映画は『かっこよい』と思っている日本人と米国人の両方のアホ達用に良くできています。南蛮人、野蛮人、紅毛人の中途半端な映画です。日本を履き違えた、外人の映画です。日本人の役者さん達を調子に乗せて、上手く、映画の中でこき使っています。
少し歴史的な映画の時代背景をお話を致します。Military Adviser(軍、または軍隊の助言者)と称される米国人は、あの時には存在しなかったのです。インディアンを殺戮した騎兵隊員なんか、日本にはいなかったのです。いたとしてもずっと後の後の話です。あの頃、日本は英国、仏国、独国の軍隊の真似をしていました。日本刀にも洋式のサーベル風なのが使用され、日本独自の旧軍装式の突兵拵え、突鉢拵えが作られました。軍服も、今の中学校、高等学校の学生服のようなものが取り入れられました。京都に向かった薩摩藩と長州藩の両倒幕軍の服が良い例です。米国が日本に興味を示したのは、島国である日本を鯨の捕獲船の中継地点として選んだからです。捕獲船用の水や食料の調達や、船員の休息のために単に立ち寄っただけなのです。アメリカのような大国が、小さな島国なんかを平等に相手にするなんて思う人は無知です。お袋の口癖の一つを思い出します。馬鹿は死ななきゃ直らない。
私はこの映画が出てきて、試写会の為にたくさんの前売り券を買って、桑港日本刀協会の会員、桑港剣術道場の生徒を誘って連れて行ってあげました。場所はサンフランシスコ日本町の歌舞伎劇場でした。みんなは楽しそうにしていたので、本当の事や史実を控えました。ちょっと言うと、『また、天邪鬼が、空気を乱している』と言われたくなかったし、私が大金を使って前売り券を買ってやったので、悪者にはなりたくなかったのです。良い先生、配慮のある道場長でいたかったのです。
今思い出すと、役者の剣術の太刀まわりがオソマツでした。戦場で紅毛人に殺された奥さんの顔が寂し過ぎます。泣きそうな顔です。ブスではありませんが、あんな顔の女性と生活したら、寂しくて自殺を考えるアホも出て来るでしょう。そして、あの姉ちゃんは、兄じゃに文句たらたらです。獣のような匂いがして『もう、やっちゃいられん』と申すのです。私は『当たり前だ』と思いました。風呂に一ヶ月以上、いや、もっと入っていないのです。風呂に入る。身体を綺麗にする。そんな習慣が、紅毛人や野蛮人には無いのです。臭過ぎるのです。飯を食う時の箸の使い方も幼稚園児のような握りです。大爆笑です。まともな役者は、ボブと呼ばれた侍だけです。一番シンドイ役者は明治天皇の役をした若僧です。私的には、あいつの話す英語は『オカマ』です。話す口調が完璧にオカマ風でした。悪役の大村さんが、明治天皇の役をすれば、ドスが効いていて天皇陛下様と呼ばれるのにふさわしいのです。日本国を代表する本物の日本人のようです。忍者が出現しました。あの頃、忍者はいなかったのです。
同映画以外にも、いろんな史実に沿っていない侍映画を過去にたくさん拝見しました。映画を娯楽とか趣味で楽しむだけなら良いのですが、信じるアホが出現してきます。実にアホです。夢と現実をごっちゃにする人々もいます。実にアホです。腹が立ちます。
歴史的見地や、史実に沿って映画を見たりしたらいけないのかもしれません。今後の私の課題です。