2005年3月8日(火)
刀のはなし26
相州伝
古刀五カ伝の一つ、相州伝の話をします。相州伝の刀の姿格好は長寸で反りが浅く、重ねが薄めで、身幅が広く、切先が延び、フクラが枯れた豪そうな作柄です。刃紋は幅が広く、湾れ刃、乱れ刃、華やかな皆焼(ひたつら)等多くあります。鋩子(ぼうし)は大きく乱れ込んで反りが深いです。棟は真の棟か丸棟で棟焼きが多く見られます。彫刻も手の込んだものが多く、造り込みも異風な物が多いです。地肌は板目か大板目、松皮肌があります。以上が相州伝の概論です。
相州伝は荒沸え本位で、地肌の方が刃先より沸えが大きく、刃中には必ず金筋、砂流し、地景が表れています。荒沸え本位でなければ製作しにくい刃紋、すなわち広直刃大乱れ、馬の歯乱れを焼いています。焼き入れ温度も他の伝法よりもずっと高く、堅い性質の玉鋼を使用し、火力の強い栗の木の炭を使用します。鍛刀の際に使用する工具は全部鉄製です。
相州伝は彫刻の最も多い流派で、図案化して省略、簡素化した草の倶梨迦羅(くりから)です。また、独鈷付剣(どっこつきけん)、樋の中の剣巻竜(けんまきりゅう)倶梨迦羅も巧妙に浮き彫りされています。棒樋または二筋樋が多く彫られ、樋先は必ず下がっています。新刀の時代にはいわゆる相州彫といわれる特殊な彫り方が考案されました。彫刻は実に見事な物が多く、彫刻の専門職や彫刻のできる刀鍛冶が多く存在しました。相州伝の彫刻は位置も良く、締まりも良いものです。
相州伝の茎(なかご)の先は剣形か栗尻で、南北朝ごろよりやや茎の腹がふくれ、室町時代よりたなご腹となりました。鑢(やすり)目は浅い勝手下がり、尋常な勝手下がり、もしくは筋違いもあり、切り(一文字)もあります。
相州伝の刀鍛冶の名を古い時代より挙げてみます。進藤五国光、行光、正宗、貞宗、広光、秋広、正広、広正、助広。ここまでが室町前期です。室町後期には、小田原鍛冶が輩出され、島田系刀工が輩出されました。江戸前期には相州綱広が活躍しました。綱広は10代まで続いています。現在の日本刀の2%前後が相州伝鍛冶によって製作されました。
相州伝
古刀五カ伝の一つ、相州伝の話をします。相州伝の刀の姿格好は長寸で反りが浅く、重ねが薄めで、身幅が広く、切先が延び、フクラが枯れた豪そうな作柄です。刃紋は幅が広く、湾れ刃、乱れ刃、華やかな皆焼(ひたつら)等多くあります。鋩子(ぼうし)は大きく乱れ込んで反りが深いです。棟は真の棟か丸棟で棟焼きが多く見られます。彫刻も手の込んだものが多く、造り込みも異風な物が多いです。地肌は板目か大板目、松皮肌があります。以上が相州伝の概論です。
相州伝は荒沸え本位で、地肌の方が刃先より沸えが大きく、刃中には必ず金筋、砂流し、地景が表れています。荒沸え本位でなければ製作しにくい刃紋、すなわち広直刃大乱れ、馬の歯乱れを焼いています。焼き入れ温度も他の伝法よりもずっと高く、堅い性質の玉鋼を使用し、火力の強い栗の木の炭を使用します。鍛刀の際に使用する工具は全部鉄製です。
相州伝は彫刻の最も多い流派で、図案化して省略、簡素化した草の倶梨迦羅(くりから)です。また、独鈷付剣(どっこつきけん)、樋の中の剣巻竜(けんまきりゅう)倶梨迦羅も巧妙に浮き彫りされています。棒樋または二筋樋が多く彫られ、樋先は必ず下がっています。新刀の時代にはいわゆる相州彫といわれる特殊な彫り方が考案されました。彫刻は実に見事な物が多く、彫刻の専門職や彫刻のできる刀鍛冶が多く存在しました。相州伝の彫刻は位置も良く、締まりも良いものです。
相州伝の茎(なかご)の先は剣形か栗尻で、南北朝ごろよりやや茎の腹がふくれ、室町時代よりたなご腹となりました。鑢(やすり)目は浅い勝手下がり、尋常な勝手下がり、もしくは筋違いもあり、切り(一文字)もあります。
相州伝の刀鍛冶の名を古い時代より挙げてみます。進藤五国光、行光、正宗、貞宗、広光、秋広、正広、広正、助広。ここまでが室町前期です。室町後期には、小田原鍛冶が輩出され、島田系刀工が輩出されました。江戸前期には相州綱広が活躍しました。綱広は10代まで続いています。現在の日本刀の2%前後が相州伝鍛冶によって製作されました。