2004年1月13日(火)
刀のはなし13
日本刀鑑定書の始まり
鑑定書の創始者は本阿弥家九代目の光徳で、徳川家康が元和2年(1616年)に本阿弥家を刀剣極所(とうきしわめじょ)と定めてから始まりました。本阿弥家では鑑定書を折紙型式で連名して二十代忠道まで発行してました。
鑑定書制度は第二次世界大戦の終了を契機として、新しい愛刀家にある種の安心感を与え、それが刀剣収集の隆盛の一つの要因となったことは確かです。しかし、鑑定書の権威が高くなるにつれて、愛刀家や日本刀売買に関与する業者間で鑑定書に対する依存心が強くなり、自分自身で日本刀を研究、精査、また決断することや、自己責任で日本刀の売り買いをするという大切なことが忘れ去られてしまいました。
日本刀に付随している鑑定書には種々の情報が盛り込まれています。鑑定書を発行する人々は日本刀研究者、研磨師、刀剣店の店長らが挙げられます。鑑定書には大体次のような項目が記されています。
①証書番号
②発行年月日
③日本刀の種別
④体配
⑤造り込み
⑥刃長
⑦銘
⑧地肌
⑨刃紋
⑩茎(なかご)
⑪時代
⑫系統
⑬寸評
⑭鑑定家の署名と捺印
真の愛刀家は価値ある鑑定書を求めています。鑑定書は愛刀家が正真の保証としているので、審査、鑑定、判定を厳しくしてほしいものです。あまりにも多すぎる鑑定書は利益追求が過ぎると思います。私事ですが、日本にある無銘の刀にある団体の認定書が8枚ついております。すべての極めが異なっていて、正真という言葉はどこにも記述されていません。また、発行人も多数で必ずどこかに逃げ口述があります。現在信用できる鑑定書は個人発行です。ほかの証書と正真と保証のないものに要注意。桑港日本刀協会では 日本刀の無料鑑定と鑑定書の再鑑定もおこなっております。連絡ください。
日本刀鑑定書の始まり
鑑定書の創始者は本阿弥家九代目の光徳で、徳川家康が元和2年(1616年)に本阿弥家を刀剣極所(とうきしわめじょ)と定めてから始まりました。本阿弥家では鑑定書を折紙型式で連名して二十代忠道まで発行してました。
鑑定書制度は第二次世界大戦の終了を契機として、新しい愛刀家にある種の安心感を与え、それが刀剣収集の隆盛の一つの要因となったことは確かです。しかし、鑑定書の権威が高くなるにつれて、愛刀家や日本刀売買に関与する業者間で鑑定書に対する依存心が強くなり、自分自身で日本刀を研究、精査、また決断することや、自己責任で日本刀の売り買いをするという大切なことが忘れ去られてしまいました。
日本刀に付随している鑑定書には種々の情報が盛り込まれています。鑑定書を発行する人々は日本刀研究者、研磨師、刀剣店の店長らが挙げられます。鑑定書には大体次のような項目が記されています。
①証書番号
②発行年月日
③日本刀の種別
④体配
⑤造り込み
⑥刃長
⑦銘
⑧地肌
⑨刃紋
⑩茎(なかご)
⑪時代
⑫系統
⑬寸評
⑭鑑定家の署名と捺印
真の愛刀家は価値ある鑑定書を求めています。鑑定書は愛刀家が正真の保証としているので、審査、鑑定、判定を厳しくしてほしいものです。あまりにも多すぎる鑑定書は利益追求が過ぎると思います。私事ですが、日本にある無銘の刀にある団体の認定書が8枚ついております。すべての極めが異なっていて、正真という言葉はどこにも記述されていません。また、発行人も多数で必ずどこかに逃げ口述があります。現在信用できる鑑定書は個人発行です。ほかの証書と正真と保証のないものに要注意。桑港日本刀協会では 日本刀の無料鑑定と鑑定書の再鑑定もおこなっております。連絡ください。