モリーンさん
羊年で仕事をたくさんくれる老カップル
モリーンさんと初めて会ったのは2002年春のカウパレスで行われたガンショウの時でした。彼女の夫のMr. Yagerが、日本刀の手入れ具を10ドルで買えるというので、私たちの日本刀展示会場に参ったそうです。しかし、日本刀の手入れ具はそんな値段では買えないよと言ってやりました。私は見ず知らずの人にはいつもいつも警戒をしています。母の清子さんがいつも口癖のように言っていました。人を見れば泥棒と思え。この名言で、私はいつも安全に守られて新天地の米国で暮らせています。余りにも私がつっけんどんだったので、モリーンさんは泣きそうな顔をしてしまいました。そこに居合わせたGentlemanのスティーブさんが、見かねてモリーンさんと話初めました。スティーブさんは、私がド素人と話すことが好きでないということを良く知っています。この59歳のおばさんは良さそうな人だから、いろんな刀関係の説明をスティーブさんはしてあげたそうです。スティーブさんは、Yager夫婦が短刀を鑑定してもらいたいとのことで、次の週の木曜日に約束をとってくれました。
その約束の日にMr. & Mrs. Yagerが二人で道場にやってきました。旦那さんのジョンさんは、杖をついていてその時82歳でした。「短刀は修理修繕が必要です」と言うとすぐに仕事をくれました。仕事は三種類の基礎的な修理修繕でした。鎺金の製作、研磨と白鞘の新規工作でした。修理修繕が終わり、1550年代美濃伝の短刀で古刀ですと言うと、詳細を説明をしてくれと申すので博学の星野がシャシャリでました。1550年代は室町時代の後期で、美濃は今の岐阜県の刀鍛冶によって製作された短刀でした。他には、短い懐剣とか懐刀と呼ばれていて、製作時代的にはこの米国よりも古いのです。古い江戸時代の拵え金具と塗り鞘がありましたが、150年ぐらい経っているので、木のつなぎと呼ばれる模写刀を作って中に入っています。鎺金は、この短刀は尋常のよりも良いので銀無垢の材料で製作しました。朴の木の白鞘は日本から輸入したものです。短刀をかけるスタンドは、スティーブさんが短刀掛けを特別注文で作っているので相談して下さい。二人は実に喜んでいました。もっと真剣に勉強したいと言うので、桑港刀剣協会の終身会員になってもらいました。ジョンさんは、長老でいろいろのことを知っていました。二人の夫婦が収集した日本刀はものすごい数です。百振り以上あります。勉強もまじめで、金曜日のクラスに過去八年間で二回だけ休みましたが、夕方七時から九時まで毎回道場で日本刀の勉強に励んだのです。私と夫婦二人だけのプライベートのクラスも結構ありました。寒い時はいつもヒーターを付けていました。サンフランシスコの夏はメチャ寒いのです。
モリーンさんは、道場で私の見せる日本刀の全てを買いたいと申すのです。生徒の修理修繕で預かっているものもあるし、私のものは全てが一応秘蔵品なので売り物ではありません。日本刀は他に全く同じものがないので、売買は無理ですと言いました。しかし、4品ほど、私個人の収集する骨董品を売ったことがあります。相州伝の彫り物入りの脇差です。銘は正真の相州住広光作とありました。時価200万円はしますが。私が買った値段が750ドルなので、1500ドルで売りました。二人は大喜びです。
2006年の3月に、モリーンさんはジョンさんの誕生日が来月の4月27日なので薙刀を贈呈したいので良いものはありませんかと申しました。無銘ですが、尾崎源五右衛門藤原助高の江戸時代の作で長い柄の付いた、石突き入りの薙刀を売ってあげました。最近現代物の拵え金具も付けて、研磨も致し新しい白鞘と塗り鞘も入れて4500ドルで買ってもらいました。モリーンさんは私の直ぐ隣に座っていました。個人の小切手を書いているときに、チラッと残高が見えました。見るつもりは全然なかったのですが、5万5300ドルも入っていました。我最愛の妻クララさんにそのことを言うと、金持ちの年寄りは、ここアメリカでは多いらしいと言うのです。彼女の両親も、ものすごい額のチェッキングアカウントの残高があるそうです。アメリカ人は解せないことがたくさんありますね。
2007年、カウパレスで私は500年前に製作された袋槍を買いました。誰かが見ている殺気を感じたので、そちらの方向を見るとモリーンさんでした。何を買ったのですか?と聞くので仕方なく九州筑前の鍛冶の作の珍しい袋槍ですと言ってしまいました。買わせて下さいというので、涙をこらえながら合意して売りました。買った値段は800ドルでしたが、簡単な部分研磨も約束して850ドルで売りました。江戸時代に製作された拵え金具付きです。石突きも立派なものが突いていました。他の生徒に、奪われた袋槍のことを言うと、俺だったら1500ドルは出したよと言うのです。でも、モリーンさんは過去に修理修繕の仕事を3年分くれたのです。年寄りが喜んでくれれば私も嬉しいのです。ワイフのクララさんにいつもしかられています。
一度はモリーンさんに売らなかった物もありました。長男の息子のために、E-Bayで目抜きを買った時です。目抜きのデザインは羊です。長男が羊年の1990年に生まれたのです。羊のデザインの拵え金具などはほとんど皆無です。理由は簡単です。羊という動物が幕末頃まで日本に存在しなかったので、金工師や白金師たちが本物を見ながら模写できなかったのです。中国から持参した羊やヤギの絵を見て、職人たちは羊のデザインの目抜き、鍔、縁、頭などを少し製作していました。モリーンさんとジョンさんもこの史実を知っています。特にモリーンさんは、1943年の羊年生まれです。他に羊のデザインの拵え金具は在りますか?といつも聞かれます。
2009年の夏、桑港刀剣協会会員のテッドさんが、備前長船住祐定の脇差が彼の住んでいるSan Jose南にいるディーラーが売りに出しているので私に買わないかと勧めてきました。値段は1350ドルでお手ごろです。拵え金具は、江戸時代のものが付随していると申すので直ぐに買いました。いろいろ精査し、目抜きはヤギの雄と雌の対のデザインの目抜きでした。モリーンさんとジョンさんに直ぐに電話をして見せてあげました。彼女は直ぐに買いました。少しの部分研磨も施して1450ドルで売りました。また、ワイフのクララさんにしかられました。高齢の二人が喜べば良いのです。これからも、モリーンさんとジョンさんもたくさん日本刀修理修繕の仕事をくれるでしょう。今現在、生徒から承った日本刀の修理修繕の仕事は4年越しです。
その約束の日にMr. & Mrs. Yagerが二人で道場にやってきました。旦那さんのジョンさんは、杖をついていてその時82歳でした。「短刀は修理修繕が必要です」と言うとすぐに仕事をくれました。仕事は三種類の基礎的な修理修繕でした。鎺金の製作、研磨と白鞘の新規工作でした。修理修繕が終わり、1550年代美濃伝の短刀で古刀ですと言うと、詳細を説明をしてくれと申すので博学の星野がシャシャリでました。1550年代は室町時代の後期で、美濃は今の岐阜県の刀鍛冶によって製作された短刀でした。他には、短い懐剣とか懐刀と呼ばれていて、製作時代的にはこの米国よりも古いのです。古い江戸時代の拵え金具と塗り鞘がありましたが、150年ぐらい経っているので、木のつなぎと呼ばれる模写刀を作って中に入っています。鎺金は、この短刀は尋常のよりも良いので銀無垢の材料で製作しました。朴の木の白鞘は日本から輸入したものです。短刀をかけるスタンドは、スティーブさんが短刀掛けを特別注文で作っているので相談して下さい。二人は実に喜んでいました。もっと真剣に勉強したいと言うので、桑港刀剣協会の終身会員になってもらいました。ジョンさんは、長老でいろいろのことを知っていました。二人の夫婦が収集した日本刀はものすごい数です。百振り以上あります。勉強もまじめで、金曜日のクラスに過去八年間で二回だけ休みましたが、夕方七時から九時まで毎回道場で日本刀の勉強に励んだのです。私と夫婦二人だけのプライベートのクラスも結構ありました。寒い時はいつもヒーターを付けていました。サンフランシスコの夏はメチャ寒いのです。
モリーンさんは、道場で私の見せる日本刀の全てを買いたいと申すのです。生徒の修理修繕で預かっているものもあるし、私のものは全てが一応秘蔵品なので売り物ではありません。日本刀は他に全く同じものがないので、売買は無理ですと言いました。しかし、4品ほど、私個人の収集する骨董品を売ったことがあります。相州伝の彫り物入りの脇差です。銘は正真の相州住広光作とありました。時価200万円はしますが。私が買った値段が750ドルなので、1500ドルで売りました。二人は大喜びです。
2006年の3月に、モリーンさんはジョンさんの誕生日が来月の4月27日なので薙刀を贈呈したいので良いものはありませんかと申しました。無銘ですが、尾崎源五右衛門藤原助高の江戸時代の作で長い柄の付いた、石突き入りの薙刀を売ってあげました。最近現代物の拵え金具も付けて、研磨も致し新しい白鞘と塗り鞘も入れて4500ドルで買ってもらいました。モリーンさんは私の直ぐ隣に座っていました。個人の小切手を書いているときに、チラッと残高が見えました。見るつもりは全然なかったのですが、5万5300ドルも入っていました。我最愛の妻クララさんにそのことを言うと、金持ちの年寄りは、ここアメリカでは多いらしいと言うのです。彼女の両親も、ものすごい額のチェッキングアカウントの残高があるそうです。アメリカ人は解せないことがたくさんありますね。
2007年、カウパレスで私は500年前に製作された袋槍を買いました。誰かが見ている殺気を感じたので、そちらの方向を見るとモリーンさんでした。何を買ったのですか?と聞くので仕方なく九州筑前の鍛冶の作の珍しい袋槍ですと言ってしまいました。買わせて下さいというので、涙をこらえながら合意して売りました。買った値段は800ドルでしたが、簡単な部分研磨も約束して850ドルで売りました。江戸時代に製作された拵え金具付きです。石突きも立派なものが突いていました。他の生徒に、奪われた袋槍のことを言うと、俺だったら1500ドルは出したよと言うのです。でも、モリーンさんは過去に修理修繕の仕事を3年分くれたのです。年寄りが喜んでくれれば私も嬉しいのです。ワイフのクララさんにいつもしかられています。
一度はモリーンさんに売らなかった物もありました。長男の息子のために、E-Bayで目抜きを買った時です。目抜きのデザインは羊です。長男が羊年の1990年に生まれたのです。羊のデザインの拵え金具などはほとんど皆無です。理由は簡単です。羊という動物が幕末頃まで日本に存在しなかったので、金工師や白金師たちが本物を見ながら模写できなかったのです。中国から持参した羊やヤギの絵を見て、職人たちは羊のデザインの目抜き、鍔、縁、頭などを少し製作していました。モリーンさんとジョンさんもこの史実を知っています。特にモリーンさんは、1943年の羊年生まれです。他に羊のデザインの拵え金具は在りますか?といつも聞かれます。
2009年の夏、桑港刀剣協会会員のテッドさんが、備前長船住祐定の脇差が彼の住んでいるSan Jose南にいるディーラーが売りに出しているので私に買わないかと勧めてきました。値段は1350ドルでお手ごろです。拵え金具は、江戸時代のものが付随していると申すので直ぐに買いました。いろいろ精査し、目抜きはヤギの雄と雌の対のデザインの目抜きでした。モリーンさんとジョンさんに直ぐに電話をして見せてあげました。彼女は直ぐに買いました。少しの部分研磨も施して1450ドルで売りました。また、ワイフのクララさんにしかられました。高齢の二人が喜べば良いのです。これからも、モリーンさんとジョンさんもたくさん日本刀修理修繕の仕事をくれるでしょう。今現在、生徒から承った日本刀の修理修繕の仕事は4年越しです。