チアリーダーで最愛の妻クララさん
クララさんは私の最愛の妻です。
彼女と出会ったのが1981年の夏でした。道場に入門した彼女に日本武術をいろいろと指導致しました。入門時によく話しをし、彼女のことをたくさん知りました。彼女は中学生の時にマクドナルドでアルバイトをしていたそうです。中学校と高校でチアリーダーをしていたそうで、かなり体が柔らかいです。チアリーダーの練習の時に行っていたアクロバット的な動きを見せてくれました。私も開脚180度と逆立ち1分30秒を見せるとびっくりしていました。他にも、彼女に私の特技を見せびらかしました。足のつま先だけで私は立つことができるのです。これにも彼女はびっくりです。通常バレリーナは特殊な靴を履いて、踊る時につま先で立ちますが、私は素足で直立できるのです。また、クララさんは、空手の巻き藁で鍛えた私の右手のどでかい拳骨を見てびっくりです。日本にいた頃、路上や駅前でめちゃくちゃ暴れていた時の武勇伝を彼女にたくさん話しました。喧嘩の強い男は女性にもてるんです。この習慣のようなことは原始時代から続いています。彼女に会った頃、私も若かったのでいろんな馬鹿なことを言って自慢していました。
彼女は、生まれ育ったミシガン州のKalamazoo(カラマズー)で空手を習っていましたが、その空手の流派には組み手の際の円形の動きと二段蹴り、三日月蹴り、後ろ回し蹴りがなかったので、これらを特に教え込みました。空手は一応、黒帯の初段の手前の一級を授与しました。帯の色は茶色です。女子の空手の試合がサンフランシスコ近辺で開催され、他の流派の黒帯を見事に打ち破り一位の賞を何十回も獲得しました。その時19歳でしたが、どう見ても13歳にしか見えません。体重は49キロで、背の高さは150センチです。道場入門6ヶ月後には45キロに減量し、贅肉なしの見事なプロポーションをつくりあげました。美しいバービー人形を見ているようです。彼女と親密にお付き合いを開始したのが1983年の春からです。この頃からすでに、彼女とずっと一緒にいてできたら結婚したいなと思っていました。
私の知っているKalamazooの話を彼女にしてあげたことがあります。Kalamazooはギブソンと呼ばれるギターの会社があり、小会社のエピフォンと共にエレキギターを作っています。1968年製作のヴィンテージのエレキギターを私は持っています。ヘッドにKalamazooと書いてあります。色は綺麗な白です。この事実は、クララさんはエレキギターを弾かないので知らないのは当然です。
桑港日本武術鍛錬協会では、たくさんの武道関連の課題に取り組んでいます。クララさんは1983年頃より日本食も食べるようになり、関西人がいやがる納豆も食べられます。江戸時代の侍の食事、戦国時代の忍者食にも興味を示して勉強しました。菜食主義者用のカレーライス、餃子も作れるようになりました。他にもたくさんの日本食を料理できます。1ヶ月に二回か三回は私の夕食に納豆を用意してくれています。
道場では、剣術、試し切り、薙刀術、手裏剣術、短刀術、鎖分銅術、小太刀の術、指圧、日本料理、ガン予防の料理の仕方も指導し、各クラスを教える時クララさんにパートナー兼アシスタントになってもらいました。
クララさんは日本のテレビ番組に3回出演しています。アメリカ女性が日本の武道や武術を習うのは、日本人にとって興味深いそうです。特に青い目の金髪のアメリカ人女性の武道家が、日本ではすごくもてはやされてます。1985年に大橋巨泉さん司会のクイズ番組『世界まるごとハウマッチ』にも、私と一緒に出演して頂きました。もちろん彼女が主役で、道場の看板が出てきて護身術を彼女が習う場面が道場内であります。公園で暴漢に襲われるシーンもあって、短刀術や手裏剣術で相手を倒すか弱い女性の役です。最終的に、私の日本武術鍛錬協会の道場の入会金と月謝の合計が幾らであるかを当てるクイズでした。私が、商業用のシンガーミシンで夜なべに縫って作った稽古着、鍛錬用の木刀、竹刀も、入会金の中に込みです。回答者は原タイラさん、石坂浩二さん、そして私の最も尊敬する北野タケシさんです。タケシさんと原さんの回答金額が一番近かったです。実は、この番組の製作に当たってロスより偉いプロジューサーと三人のカメラマンが来てくれました。カメラはイケガミ製です。真のプロのカメラマンはイケガミ製のカメラを愛用するのです。4日に渡るサンフランシスコでの収録撮影でした。道場内と近くの公園での撮影です。クララさんは文句一つ言わず協力してくれました。
クララさんの好きな俳優は渥美清で柴又の寅さんのシリーズ番組が大好きです。時代劇が好きで、暴れん坊将軍、勝新太郎の座頭市もよく録画のテレビで見ていました。芸能人は明石さんまが好きです。一緒に『おれ達ひょうきん族』を見ていました。NHKの大河ドラマもよく一緒に見ていました。彼女は1986年ごろより、私立の日本語の学校へ通うようになり、サンフランシスコ州立大学へ移籍し日本語を勉強しました。先生になるための勉強もしていました。1990年にHornor Studentで卒業し、日本語が相当にできます。その年の10月に、私はクララさんと結婚致しました。新婚生活良いなあ。
私の両親が1980年代によくサンフランシスコに来ていましたが、その時はすべて日本語で話していました。やっぱりインテリは、語学の上達が早いですね。
私も彼女から英語を習って自分なりに上達したと思っています。1995年の10月に、私が米国市民権を獲得した時も、彼女はいろいろと援助してくれました。その一年ぐらい前から英語の勉強を始めましたが、いつも彼女は文章を直してくれます。毎日彼女と英会話です。彼女の顔が日本人ではないので私は英語を話します。二人の息子には日本語で話しています。しかし返事は英語で返ってきます。むずかしい日本語を私が二人の息子に言うと、彼女が通訳と翻訳をします。
1997年の4月にクララさんの長年の労をねぎらって、大薙刀をプレゼントしました。刃長は、二尺六寸五分で茎長が二尺八寸です。1996年の秋頃、アメリカ人の夫婦が大薙刀を道場に持参しました。他の日本刀の商売人のところへ持っていくと2000ドルのオファーがあったそうです。私は、その大薙刀に少なくとも二倍の値段の4000ドルをお支払い致しますと言ってあげました。1997年の4月にまた連絡があり、大薙刀に最終的に支払った金額が5000ドルでした。買った直ぐ後に、サンフランシスコの家へ持って返りクララさんの誕生日のプレゼントとして贈呈しました。美しい蒔絵付きの薙刀の拵えがついています。英国で私が鑑定した、エリザベス女王陛下の時価1000万円の薙刀よりも、もっと価値があります。時価1450万円です。彼女は、他にもたくさんの薙刀を秘蔵にして持っています。短刀は20振りくらい持っています。私もはっきりした数は解かりません。
余談ですが、2012年の1月ごろ、彼女にかなりの金額の預金通帳を作ってあげました。私が不慮の死を遂げても心配の無い様に二人の子供と路頭に迷わないように取り計らいました。
今はクララさんと夫婦ですが友達付き合いもしています。手を繋いで歩いています。買い物も付き合っています。路チューもしています。日曜日の朝には、二人でイタリアのスポーツカーで遠乗りに出かけます。手を握って一緒に寝ています。たまらなく幸せです。彼女のニックネームはFormer Cheer Leader(元チアリーダー)です。
彼女と出会ったのが1981年の夏でした。道場に入門した彼女に日本武術をいろいろと指導致しました。入門時によく話しをし、彼女のことをたくさん知りました。彼女は中学生の時にマクドナルドでアルバイトをしていたそうです。中学校と高校でチアリーダーをしていたそうで、かなり体が柔らかいです。チアリーダーの練習の時に行っていたアクロバット的な動きを見せてくれました。私も開脚180度と逆立ち1分30秒を見せるとびっくりしていました。他にも、彼女に私の特技を見せびらかしました。足のつま先だけで私は立つことができるのです。これにも彼女はびっくりです。通常バレリーナは特殊な靴を履いて、踊る時につま先で立ちますが、私は素足で直立できるのです。また、クララさんは、空手の巻き藁で鍛えた私の右手のどでかい拳骨を見てびっくりです。日本にいた頃、路上や駅前でめちゃくちゃ暴れていた時の武勇伝を彼女にたくさん話しました。喧嘩の強い男は女性にもてるんです。この習慣のようなことは原始時代から続いています。彼女に会った頃、私も若かったのでいろんな馬鹿なことを言って自慢していました。
彼女は、生まれ育ったミシガン州のKalamazoo(カラマズー)で空手を習っていましたが、その空手の流派には組み手の際の円形の動きと二段蹴り、三日月蹴り、後ろ回し蹴りがなかったので、これらを特に教え込みました。空手は一応、黒帯の初段の手前の一級を授与しました。帯の色は茶色です。女子の空手の試合がサンフランシスコ近辺で開催され、他の流派の黒帯を見事に打ち破り一位の賞を何十回も獲得しました。その時19歳でしたが、どう見ても13歳にしか見えません。体重は49キロで、背の高さは150センチです。道場入門6ヶ月後には45キロに減量し、贅肉なしの見事なプロポーションをつくりあげました。美しいバービー人形を見ているようです。彼女と親密にお付き合いを開始したのが1983年の春からです。この頃からすでに、彼女とずっと一緒にいてできたら結婚したいなと思っていました。
私の知っているKalamazooの話を彼女にしてあげたことがあります。Kalamazooはギブソンと呼ばれるギターの会社があり、小会社のエピフォンと共にエレキギターを作っています。1968年製作のヴィンテージのエレキギターを私は持っています。ヘッドにKalamazooと書いてあります。色は綺麗な白です。この事実は、クララさんはエレキギターを弾かないので知らないのは当然です。
桑港日本武術鍛錬協会では、たくさんの武道関連の課題に取り組んでいます。クララさんは1983年頃より日本食も食べるようになり、関西人がいやがる納豆も食べられます。江戸時代の侍の食事、戦国時代の忍者食にも興味を示して勉強しました。菜食主義者用のカレーライス、餃子も作れるようになりました。他にもたくさんの日本食を料理できます。1ヶ月に二回か三回は私の夕食に納豆を用意してくれています。
道場では、剣術、試し切り、薙刀術、手裏剣術、短刀術、鎖分銅術、小太刀の術、指圧、日本料理、ガン予防の料理の仕方も指導し、各クラスを教える時クララさんにパートナー兼アシスタントになってもらいました。
クララさんは日本のテレビ番組に3回出演しています。アメリカ女性が日本の武道や武術を習うのは、日本人にとって興味深いそうです。特に青い目の金髪のアメリカ人女性の武道家が、日本ではすごくもてはやされてます。1985年に大橋巨泉さん司会のクイズ番組『世界まるごとハウマッチ』にも、私と一緒に出演して頂きました。もちろん彼女が主役で、道場の看板が出てきて護身術を彼女が習う場面が道場内であります。公園で暴漢に襲われるシーンもあって、短刀術や手裏剣術で相手を倒すか弱い女性の役です。最終的に、私の日本武術鍛錬協会の道場の入会金と月謝の合計が幾らであるかを当てるクイズでした。私が、商業用のシンガーミシンで夜なべに縫って作った稽古着、鍛錬用の木刀、竹刀も、入会金の中に込みです。回答者は原タイラさん、石坂浩二さん、そして私の最も尊敬する北野タケシさんです。タケシさんと原さんの回答金額が一番近かったです。実は、この番組の製作に当たってロスより偉いプロジューサーと三人のカメラマンが来てくれました。カメラはイケガミ製です。真のプロのカメラマンはイケガミ製のカメラを愛用するのです。4日に渡るサンフランシスコでの収録撮影でした。道場内と近くの公園での撮影です。クララさんは文句一つ言わず協力してくれました。
クララさんの好きな俳優は渥美清で柴又の寅さんのシリーズ番組が大好きです。時代劇が好きで、暴れん坊将軍、勝新太郎の座頭市もよく録画のテレビで見ていました。芸能人は明石さんまが好きです。一緒に『おれ達ひょうきん族』を見ていました。NHKの大河ドラマもよく一緒に見ていました。彼女は1986年ごろより、私立の日本語の学校へ通うようになり、サンフランシスコ州立大学へ移籍し日本語を勉強しました。先生になるための勉強もしていました。1990年にHornor Studentで卒業し、日本語が相当にできます。その年の10月に、私はクララさんと結婚致しました。新婚生活良いなあ。
私の両親が1980年代によくサンフランシスコに来ていましたが、その時はすべて日本語で話していました。やっぱりインテリは、語学の上達が早いですね。
私も彼女から英語を習って自分なりに上達したと思っています。1995年の10月に、私が米国市民権を獲得した時も、彼女はいろいろと援助してくれました。その一年ぐらい前から英語の勉強を始めましたが、いつも彼女は文章を直してくれます。毎日彼女と英会話です。彼女の顔が日本人ではないので私は英語を話します。二人の息子には日本語で話しています。しかし返事は英語で返ってきます。むずかしい日本語を私が二人の息子に言うと、彼女が通訳と翻訳をします。
1997年の4月にクララさんの長年の労をねぎらって、大薙刀をプレゼントしました。刃長は、二尺六寸五分で茎長が二尺八寸です。1996年の秋頃、アメリカ人の夫婦が大薙刀を道場に持参しました。他の日本刀の商売人のところへ持っていくと2000ドルのオファーがあったそうです。私は、その大薙刀に少なくとも二倍の値段の4000ドルをお支払い致しますと言ってあげました。1997年の4月にまた連絡があり、大薙刀に最終的に支払った金額が5000ドルでした。買った直ぐ後に、サンフランシスコの家へ持って返りクララさんの誕生日のプレゼントとして贈呈しました。美しい蒔絵付きの薙刀の拵えがついています。英国で私が鑑定した、エリザベス女王陛下の時価1000万円の薙刀よりも、もっと価値があります。時価1450万円です。彼女は、他にもたくさんの薙刀を秘蔵にして持っています。短刀は20振りくらい持っています。私もはっきりした数は解かりません。
余談ですが、2012年の1月ごろ、彼女にかなりの金額の預金通帳を作ってあげました。私が不慮の死を遂げても心配の無い様に二人の子供と路頭に迷わないように取り計らいました。
今はクララさんと夫婦ですが友達付き合いもしています。手を繋いで歩いています。買い物も付き合っています。路チューもしています。日曜日の朝には、二人でイタリアのスポーツカーで遠乗りに出かけます。手を握って一緒に寝ています。たまらなく幸せです。彼女のニックネームはFormer Cheer Leader(元チアリーダー)です。